茶臼山・統国寺

茶臼山にある統国寺は聖徳太子によって創建されたと伝えられる古い歴史のある寺です。

統国寺や大阪市のホームページによると次のような歴史を経て、現在に至っています。

  • 創建時は法相宗に属し、深妙院念仏寺という名であったと伝えられる。
  • 元和元年(1615)の大坂夏の陣では徳川方に味方したため、真田幸村軍に焼かれ、焼失した。
  • 元禄16年(1703)、黄檗宗の僧・法源和尚によって大雄殿が再建された。
  • 宝永6年(1709)、邦福寺(ほうふくじ)と名を改め、山号を和気山とした。
  • 昭和44年(1969)、在日本朝鮮仏教徒協会の傘下に入り、統国寺と改名された。

大雄殿は大阪市の指定文化財に選ばれている大きな建物です。異色の黄檗宗仏殿として極めて重要な遺構と評価されています。

大雄殿

黄檗宗
江戸時代初期の承応3年(1654)に、明より来日した臨済宗の禅僧・隠元が開祖。
京都宇治市にある黄檗山萬福寺が黄檗宗の大本山。
黄檗宗の寺院は明の建築様式で建てられており、読経が中国語の読みで行われるなど、中国禅の様式が残されている。

境内にはベルリンの壁、済州四・三犠牲者慰霊碑があります。

ベルリンの壁

この「ベルリンの壁」は実際にベルリンにあった壁でした。東西ドイツを分断していたベルリンの壁は1989年に崩壊し、ドイツは統一されました。統国寺のベルリンの壁には朝鮮半島の統一の願いが込められているそうです。

ベルリンの壁

済州四・三犠牲者慰霊碑

1948年4月3日、済州島で起こった武装蜂起に対する武力鎮圧の犠牲となられた方々を慰霊する碑です。
済州島の人口28万人のうち3万人が犠牲となったといいます。日本からの独立、朝鮮半島の分断、朝鮮戦争の勃発と、朝鮮半島が激変するさなかに起こった悲劇でした。

統国寺のホームページには「負の歴史からなぜ目を背けてはならないのか。それは、それを繰り返さないためだ」と書かれていました。
本当にそうだと思うし、目を背けないことも勇気のいることだと思います。

済州四・三犠牲者慰霊碑

統国寺が朝鮮半島に関係する寺と知らないで訪問したのですが、黄檗宗の影響かもしれませんが、一般的な寺の雰囲気とは違うものを感じました。また、ベルリンの壁や済州四・三事件は勉強になりました。