加西・阿弥陀寺 あごなし地蔵
加西市善防の阿弥陀寺は曹洞宗のお寺です。 境内には曹洞宗の高祖 道元の像があります。「尊いいのち たいせつに」とあります。本当にそうですね。 山門脇には腮無(あごなし)地蔵尊がおられます。腮無地蔵の由来が石碑に刻まれてい...
加西市善防の阿弥陀寺は曹洞宗のお寺です。 境内には曹洞宗の高祖 道元の像があります。「尊いいのち たいせつに」とあります。本当にそうですね。 山門脇には腮無(あごなし)地蔵尊がおられます。腮無地蔵の由来が石碑に刻まれてい...
加西市北条から10km北方にある河上山久学寺は赤穂浪士ゆかりがあるお寺です。東京の泉岳寺、赤穂の花岳寺とならぶ三がく寺の一つということです。 文安3年(1446)性光禅師の開基 6代目 天良扶禅師のときに赤穂藩主・浅野長...
加東アート館を訪問しました。 この美術館は2021年3月に開館した美術館です。ARを利用して、スマホで見ると絵が飛び出たり、動いたりするという新しい試みがなされています。 大人が絵をじっくり鑑賞するというものではないです...
加東市三草の住吉神社にお参りしました。 ご祭神は大日靈貴命(おおひるめむちのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)です。大日靈貴命は天照大神の別名の...
加東市 社の佐保神社を訪問しました。 社伝によると、次のようなことがわかります。 もともとは坂合神社と呼ばれていた。 この神は加古郡(加西)の鎌倉峰に降臨され、ここで祀られていた。 針間鴨国造の子孫阿部三郎太夫に神託があ...
寛保年2年(1742)、越後高柳の藩主であった丹羽薫氏の所領替えにより三草藩ができました。藩主の丹羽氏は参勤交代をしない江戸詰めの大名だったので、藩士の多くは江戸に住み、三草にはここを支配する役人だけがいたようです。陣屋...
大悲山 観音寺には赤穂義士四十七士の墓があります。 赤穂とは遠く離れた加東市に赤穂義士の墓があるのが不思議でしたが、お寺にある説明看板、加東市のパンフレットから次のような経緯がわかりました。 赤穂浅野初代藩主・長直は子が...
加西市の山下城を訪問しました。 田福寺常行院の門前にある看板によると次の説明がありました。 常行院の南東の丘陵 (通称城山) に、「播磨鑑」 によると浦上久松 (1570年代)の居城として ”中世城郭遺跡” があります。...
源平合戦のあった山・三草山に登りました。 三草山は播磨小富士とも呼ばれ、標高 424 m の山。播磨と丹波の国境にあり、京都と播磨を結ぶ丹波道(国道372号線)が通っています。地理的重要性からしばしば合戦の舞台となりまし...
国道372号線を走っていると、「板碑」、「石像宝篋印塔」、「南帝御首塚」という看板を見つけました。清慶寺というお寺でした。興味が湧いたので見学させていただきました。 板碑 家形石棺の蓋に阿弥陀三尊の種子、宝珠が刻まれてい...