庶民を救った固寧倉
姫路藩では固寧倉(こねいそう)という食料備蓄庫が作られていました。 酒井家はすでに前橋藩時代の貞享2年(1685)低利貸付制度である社倉法を実施し、寛延2年(1749)姫路転封から9年の後当地でも施行していた。文化6年(...
姫路市姫路藩では固寧倉(こねいそう)という食料備蓄庫が作られていました。 酒井家はすでに前橋藩時代の貞享2年(1685)低利貸付制度である社倉法を実施し、寛延2年(1749)姫路転封から9年の後当地でも施行していた。文化6年(...
姫路市姫路藩家老の河合寸翁は借金に苦しむ姫路藩を救い、姫路の基礎を作りました。 文化五年(1808)、42歳で姫路藩の諸方勝手掛となり、藩政改革に挑みました。73万両の借金を10年ほどで返済しています(73万両は藩の実収入の7...
明石市柿本人麻呂をお祀りする柿本神社が明石人丸山にあります。 柿本神社のホームページによると、明石城主であった小笠原忠政公が柿本人麻呂を大変崇敬され、元和六年(1620)にこの地にお祀りされました。ご神徳は学問、安産、火災除け...
明石市明石市藤江にある青龍神社にお参りしました。 御祭神は葺不合命(ふきあへずのみこと)、神武天皇、玉依姫命、允恭天皇、少海童神(わたつみのかみ)で、創建は建長6年(1254)。この神社も古い歴史を持ちます。 旧浜国道に面した...
明石市延喜元年(901)、菅原道真公は大宰府に左遷される途中、明石の駅家に立ち寄りました。その跡が菅公旅次遺跡、休天神社となっています。 菅公旅次遺跡 駅家跡とされるところに石碑があります。 碑には「菅公旅次遺跡」と「駅長無驚...
姫路市朝日山(標高88m)は播磨風土記にも出てくる歴史ある山です。播磨国風土記」には朝日山は「大法(おおのり)山」、「勝部(すぐりべ)岡」と書かれています。 応神天皇がこの山で大法(重大な法令)を発したので大法山といい、斉明天...
明石市平家の武将 平忠度を祀る神社、塚が明石人丸にあります。 平忠度は平清盛の異母弟です。武人であるとともに、勅撰和歌集にも選ばれる歌を読んだ歌人でした。一ノ谷の戦いで源氏に敗れ、逃げる途中、明石で源氏の武将・岡部六弥太忠澄と...
姫路市宮山古墳の隣にある姫路市埋蔵文化財センターに宮山古墳や見野古墳群から出土した遺跡が展示されています。 2〜3万年前の石器時代のナイフです。石器時代のものが姫路で発掘されていたとは! 須恵器このデザインは何か意味があった...
姫路市見野の郷交流館を訪れました。外観は町の公民館のような感じですが、四郷町に残る見野古墳群、宮山古墳などの展示物や古墳時代の説明があって、楽しい博物館になっています。 見野古墳出土品の展示 小型の獣(ネコ?)の足跡が付いた須...
明石市亀の水は明石 人丸山の麓、人丸山に登る階段の脇にあります。 人丸山から湧き出る霊水です。播磨三名水の一つで、かつて「長寿の水」とも言われていました。ここにある手水鉢は常陸国の飯塚喜兵衛宣政が寄進したものです。地元では、ペ...