菅公旅次遺跡・休天神社

延喜元年(901)、菅原道真公は大宰府に左遷される途中、明石の駅家に立ち寄りました。
その跡が菅公旅次遺跡、休天神社となっています。

菅公旅次遺跡

駅家跡とされるところに石碑があります。

碑には「菅公旅次遺跡」と「駅長無驚時変改 一栄一落是春秋駅長」と彫られています。
意味は「駅長よ、時が変わり改まるのを驚くことはない。栄えるも落ちるのも、春がきて秋へと移り変わるのと同じようなものなのだから」
道真公は左遷された自分の運命を冷めた目で見ていると思いました。

休天神社

山陽電鉄人丸駅の南側に「休天神社」(やすみてんじんじゃ)があります。

延喜3年(903)に道真公が太宰府で亡くなります。
これを聞いた駅長は悲しみ、道真公が腰を掛けられた石のそばに祠を建て道真公をお祀りしました。

延宝四年(1673)明石城主・松平信之によって休天神社となりました。

手水舎のところに菅原道真公が明石駅長の自宅で休憩されたことを示す碑が建っています。

社殿
菅公駐駕驛長宅址の碑