御崎神社

御崎神社では30m先の的に21本の矢を射る的射(まとい)の行事が行われます。

明石市教育委員会の説明板には以下のように書かれています。

明石市指定文化財 (昭和四十九年度)

民俗芸能「藤江の的射」
一、藤江村に風水害をおこす悪霊を裃姿の大前・弓立が矢で射落とし、豊作・豊漁を招く神事。
一、弓の民俗芸能として市内に残 る唯一のもの。
大祭は一月十日前後の日曜日。

明石市教育委員会

由緒を記した石碑には以下のことが書かれていました。

  • 紀元360年頃、神功皇后神羅征伐の時、国造石坂姫命に乗り移り託宣した仁保津姫命である。
  • 当時より藤江明神と言われていたが、慶安5年社殿を建立したあと、山王大権現と称されたが、明治維新より三崎神社と改称した。
  • 播磨風土記によれば紀元1207年新羅の国より金船に乗って行夫童者らが来たが、藤江の浦で沈んだ。
  • 口伝えの伝承によれば、山王権現21社の諸神、金船に乗ってやってきたが、この神船に乗る里女がいた。そのため、女人の汚れのために金船は沈んだ。
  • これらの諸神を祈るともいう金気の霊水がわき出るところがある。これを金船の森という。
  • 諸神が金船に乗って大八州(日本列島)の浦々を廻った。この浦に入ったとき、船夫があやまって大アカエイの鼻に錨を投げてしまった。怒ったアカエイは船を沈めた。船夫をも沈んだが、死人霊鬼神となって郷人に害を加えた。山王権現が弓を持ってこれを射殺した。それが、的射の祭典となって現代に伝わっている。

的射は船夫を射殺した故事にちなんでいるようです。
どの話でも金船は沈んでいます。昔、大きな船が沈む出来事があったのでしょうか。