神功皇后の行矢伝説の麻生山に登りました。
標高173mの山で、その形から「小富士山」とも呼ばれています。
麻生山の元の名は、この山に鎮座した大己貴命(大国主命)にちなみ「醜男山(しこおさん)」。神功皇后(321年〜389年)の故事により麻生と改められたといいます。
この山にはいろいろな伝説が伝わっています。
- 神功皇后が三韓征伐に行くとき、麻生山で天地神祇を祭り、17日の間祈願した。
- 戦勝を祈願して弓で地面を叩くと一夜にして麻が生え育った。
- この麻で弓の弦を作り、弓を試す矢を放った。
- 第一の矢はあだ矢となって落ちた。矢の落ちた場所を的涯(的外れ)の地と呼んだ。これが現在の的形になる。
- 第二の矢も失敗し、飾西の安室に落ちた。そこで安室を矢落村と呼んだ。
- 次の矢は余部青山に達し、射目崎明神と崇め奉られた。
- その次の矢が太市郷西脇山中の大磐石に当たって岩を三つに破った。
姫路にはこの故事にちなんだ矢落の森、稲岡神社、破盤のわれ岩があります。
神功皇后の話は広く知られていたようです。
麻生山は標高 174 m。
きれいな形をしていて小富士山とも呼ばれています。
登山道は岩がゴツゴツして、けっこうきつい。
かつては修験道の山でもあったようです。
岩場に鎖がありました。
修行のため、ここから登ったのでしょう。
15分ほど登ると頂上です。頂上には華厳寺があります。
姫路市のWebマップによると
「麻生山は、神仏習合の山である。麓には麻生八幡宮が鎮座し、山上には華厳寺が祀られ、明治維新までは、この寺は八幡宮の宮寺(奥の院)として信仰を集めた。」、「華厳寺は役行者をお祀りしている」ということです。
華厳寺のまわりには石像は石仏が並んでいます。
百度石もありました。願いをかなえてもらうために、何度もここまで登ってくるというのは、それだけでもすごいことだと思います。
頂上から播磨灘まで見通せました。
この山に登られた神功皇后もここから海をご覧になられたのでしょう。
そして、神に祈り、遠くに向けて矢を3本射られた。