木之本・北国街道
木之本は北国街道と北国脇街道が交わる宿場町でした。今も街道沿いの商店街は昔の面影を残しています。 北国街道は近畿と北方を結ぶ道で、彦根から福井県今庄まで通っていた。北国脇街道は木之本から関ケ原へ通じる道。秀吉は大垣から賤...
木之本は北国街道と北国脇街道が交わる宿場町でした。今も街道沿いの商店街は昔の面影を残しています。 北国街道は近畿と北方を結ぶ道で、彦根から福井県今庄まで通っていた。北国脇街道は木之本から関ケ原へ通じる道。秀吉は大垣から賤...
たつの市揖保町萩原にある萩原神社。この地域は播磨風土記に「萩原の里」として記述されています。 土(土壌)は中の中。神功皇后が三韓征伐からの帰途、この地に泊まられた。すると一夜にして萩の根が生えた。そのため、この地を萩原と...
神戸市和田岬にある三石神社は安産の神様で、神功皇后をおまつりしています。 拝殿前には「神宮皇后像」と「幼き応神天皇を抱いた武内宿禰像」があります。2つの像は一体のものかと思っていたら、作られた時期は異なっていて、別々に作...
長田神社にお参りしました。長田神社のご祭神は事代主神。日本書紀に長田神社創立の物語が語られています。 新羅より帰ってこられた神功皇后の船が浪速の津に入ろうとしたところ、大阪の海上で船がぐるぐるまわり進まなくなってしまった...
神功皇后の行矢伝説の麻生山に登りました。標高173mの山で、その形から「小富士山」とも呼ばれています。麻生山の元の名は、この山に鎮座した大己貴命(大国主命)にちなみ「醜男山(しこおさん)」。神功皇后(321年〜389年)...
明石にある御厨神社とその本宮とされている君貢神社を訪問しました。 御厨神社 神功皇后の三韓征伐にまつわる伝説がある神社です。神社発行の説明書には次のように書かれています。 神宮皇后の西征の際、この二見浦に船を泊めて船子を...
新羅神社は、神功皇后が三韓征伐の帰りに、新羅の捕虜をこの地においたことから神社が創建されたという伝説を持ちます。ここ四郷の地は神功皇后の行矢伝説、多くの古墳、国分寺があり、古代においては力を持ったところだったようです。 ...
生矢神社にお参りしました。この神社も神功皇后の行矢伝説が伝えられています。同じく、行矢伝説がある姫路市今宿にある行矢神社とは漢字が違います。 御祭神は大国主神(オオクニヌシノカミ)、須世理姫命(スセリヒメノミコト)。大国...
尾上神社の境内には謡曲『高砂』に謡われた霊松『尾上の松』があります。尾上神社の住所は加古川市になっていますが、昔はこのあたりは高砂と呼ばれていたようです。高砂市の高砂神社に相生の松がありまするが、謡曲『高砂』はもともとは...
行矢神社は神功皇后が麻生山から矢を射た伝説に関係のある社です。説明案内板によるともとは矢落の村に鎮座なされており、いつからかこの地に移られたようです。 行矢神社は、昔八丈岩山の南麓矢落村にあった。神功皇后が、韓国出兵のと...