兵庫県太子町にある稗田神社におまいりしました。
神社の説明版には「西暦610年ごろ山地から平地に創建される」と書かれていました。
西暦610年は飛鳥時代、聖徳太子が活躍されていた時代です。西暦604年には憲法第十七条が制定され、607年には小野妹子が隋に派遣されています。
それにしても長い参道で、まっすぐ神社に向かっています。
この長さはちょっと意外でした。
参道の横に住宅が建っていますが、参道沿いには並木と石造物があるので、自動車の出入りとかはちょっと不便なのでは、と思いました。
稗田神社に到着。
稗田阿礼がおまつりされています。
神社の説明版には次の由緒が記されています。
- 推古天皇が聖徳太子に斑鳩(太子町)の地を与えた。
- 聖徳太子に仕えていた一族がここに移り住んで、この土地を管理し、貢物を納めていた。
- 猿田彦命、天鈿女命(あまのうづめのみこと)の子孫である稗田氏は朝廷に舎人として仕えていた。
- 優れた記憶力の持ち主であった稗田阿礼は国記や帝紀をよく学び、日本の国が生まれて以来の古い事柄を聞き覚えていた。
- 元明天皇(在位707~715)は文字を知る太安万侶に稗田阿礼の記憶を書き取らせ、古事記を完成させた。
- やがて当社では古事記を残した稗田阿礼を祭神としてまつるようになった。
古事記の完成は稗田神社が平地に創建されてから約100年後のことです。
この地にいた稗田氏が快挙を成し遂げた稗田阿礼を顕彰し、おまつりするようになったということでしょうか。
拝殿の両脇に小さなおみこしのような祠が建てられています。
こういうのは見たことがなかったので、珍しいと思いました。
小さい神社ですが、境内の木々は大きく、いかにも神木という感じがします。
参道や境内はきれいになっており、地元の人に愛されている神社だと思いました。