藤原貞国は中世播磨の地誌「峯相記」に登場する古代播磨のヒーローです。
峯相記は貞和4年(1348)、峯相山鶏足寺に参詣した旅の増が、偶然出会った増に、播摩の有名な寺社の由来や出来事について話を聞きだしたかのように書かれた播摩の地誌で、14世紀中頃にまとめられたと考えられています。
藤原貞国の物語とは次のストーリーです。
淳仁天皇天平宝字八年(764)、新羅の軍船2万余りの船が播磨まで
攻め入ってきて、家島に陣を取った。
朝廷は藤原貞国に賊を退治するよう命じた。貞国は太田寺、池上寺、蓮花寺、蓮城寺、川原寺、日輪寺、
松原八幡神社、魚吹八幡神社、阿宗神社(弘山八幡神)、椰八幡神社
に戦勝祈願した。貞国は魚吹津から出陣。
敵の大将を射抜いて勝利を得た。
この戦の勝利により、貞国は播磨国西五群(飾磨、揖保、赤穂、佐用、宍粟)
の国司に任じられた。
兵庫県太子町にある黒岡神社に藤原貞国が祀られています。
黒岡神社
御祭神は藤原貞国だけではなく誉田別命と菅原道真がおまつりされています。
神功皇后が朝鮮出兵の帰りに、この黒岡で兵を集めて評議をしたとのいわれがあり、八幡神の誉田別命が。そして、九州へ向かう菅原道真が黒岡神社に参詣し、この地で一泊したという言い伝えがあるので菅原道真公がおまつりされたということでした。
神門をくぐって中に入っていくと社殿が見えてきます。
拝殿にはたくさんの絵馬が奉納されています。
天神寝牛という石があります。
菅原道真、天神様なので牛ということですが、あまり牛の形には見えません。
藤原貞国の古墳
境内には古墳(黒岡神社古墳)があり、藤原貞国の古墳とされています。
案内看板より
古墳は古墳時代後期の円墳。
直径15メートル、高さ5.3メートル。
主体部は右片袖の横穴式石室で、玄室の内部には組合わせ式石棺が納められている。
藤原貞国掾塚と刻まれた石は家形石棺の蓋、その右の石は石棺の底石である。
これらの石棺は、いずれも高砂の竜山石系の石で作られている。
藤原貞国の物語。本当にそんなことがあったのかと調べてみました。
まず、天平宝字8年(764)は藤原仲麻呂が恵美押勝の乱を起こした年でした。
当時、新羅は国が乱れていて、日本と新羅の関係は良くなかったようです。
天平宝字以降に新羅の入寇は3回ありました。
・弘仁の入寇 弘仁2年(811)
・貞観の入寇 貞観11年(869)
・寛平の入寇 寛平5年(893)
しかし、天平宝字8年に入寇があったという記録は見つけられませんでした。
そして、藤原貞国は播磨の地誌「峯相記」にしか登場しません。
残念ですが、藤原貞国の物語はフィクションのようです。
でも、藤原貞国の物語は楽しい。
こういうヒーローが播磨にもいたならと思いました。