海を望む半島の突端、明神山に賀茂神社は鎮座されています。
御祭神は賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)・建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、菅原道真命。
平清盛が治承四年(1180)に高倉上皇と厳島詣での途中、賀茂神社に参拝しました。随行していた源通親が書いた高倉院厳島御幸記には「社五六、大やかにてならびつくりたる」と記されていて、すでに社殿が今と同じように形成され、神様が祀られていたそうです。
5棟の社殿と唐門、両脇の回廊を含めた8棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。
江戸時代、西国大名が参勤交代で江戸との間を行き来する時、室津に上陸しました。多くの人が賀茂神社にお参りしたと考えられます。
シーボルトが文政九年(1826)に室津を訪れ、日記と絵を残しています。
室津は海に囲まれていたので真水は貴重であり、清らかな水を確保するのは難しかった。
そこで、先人たちは四脚門手前に「はね釣瓶と井戸」の設えを施し、その下を通ることによって手水に代えたという言い伝えが残っている。賀茂神社説明板より
賀茂神社は拝殿と本殿の配置が珍しい形になっています。
本殿と拝殿が離れているのをとび拝殿と呼び、神社境内の建物配置の古い形とのこと。
中央の唐門、両隣の西廻廊、東回廊、回廊の後ろに鎮座されている椙尾社、片岡社・太田社、賀茂神社本殿、貴布弥社・若宮社、権殿が国の重要文化財に指定されています。
どの社殿も色合い、形がきれいでした
女性の守護神 玉依比売命を祀る御祖社と玉依比売命のお母さん伊可古夜姫神を祀る河合社
境内に愛の榊という榊の木があります。
二本の榊の木が神の強いお力によって途中から一本に結ばれていて、夫婦の絆、良縁に御神徳があるそうです。
鳥居と神門の間にソテツが生えています。
野生状態のソテツの群生林としては北限に位置するらしい
海に面して立つ住吉社から見る瀬戸内海はきれいでした。
※ 高倉院厳島御幸記 室の湊
午の時傾きし程に、室(むろ)の泊(とまり)に着き給。
賀茂神社 案内看板より
山まはりて、その中に池などのやうにぞ見ゆる。
舟どもおほく着きたる。その向かひに、家島(いえしま)といふ泊あり。
筑紫(つくし)へと聞こゆる舟どもは、風にしたがひてあれにつくよし申す。
室の泊に御所創りたり。御舟よせて下りさせ給ふ。
御湯など召して、この泊の遊女(あそびもの)ども、古き塚の狐の、夕暮に媚(ば)けたらむやうに、我もわれもと御所近くさし寄す。もてなす人もなければまかり出ぬ。
この山の上に賀茂をぞ崇(いは)い奉りける。御幣(こへい)まゐらせたまふ。
また私にもまゐりて幣奉(へいたてまつ)る。
年老いたる神殿守(かんとのもり)あり。
この社は、賀茂の御厨(みくりや)に、この泊のまかりなりしその神ふりわけ(勧請)まゐらせて、御しるしあらたなり。
社五六、大やかにてならび造りたる。
鼓うちて、ひまなく神なぎども集りて遊びたり。これは、御道のほど雨風の煩(わづら)ひなどの御祈り申す。とぞきこゆる。
「雲わけむ」の御誓も、思ひがけぬ浦のほとりに、たのもしくぞおぼゆる。