太子町の檀特山は標高165メートル。登山道も整備されており登りやすい山です。そして、聖徳太子、徳道上人などの伝説がたくさん残っています。
今回は東南登山口から登り、矢田部登山口に降りてくるというコースで行ってきました。
山頂には桜が咲いていました。
今年は桜の開花が遅いので、まさか山頂に咲いているとは思ってもいなかったので、桜を見ることができてうれしく思いました。
山頂にある大きな岩には大きなくぼみがあります。このくぼみには2つの伝説があります。
伝説その1 応神天皇説
播磨風土記には次の話が載っています。
大見山(檀特山)とは、応神天皇が登られて四方を見渡したために大見山と名付けられた。山頂には高さ三尺、長さ三丈、幅二丈の岩がある。岩にはくぼみがあって、応神天皇の御沓、御杖の跡という。
伝説その2 聖徳太子説
聖徳太子が馬に乗って登山されたときに、岩のそばにある松に馬をつないだ。岩のくぼみは、そのときについた蹄の跡である。
兵庫県歴史博物館のホームページには、伝説1は奈良時代に語り継がれていた話。伝説2は斑鳩(太子町)が法隆寺の荘園になった中世に生まれた話で、時代によって伝説が変化することがわかる、とありました。
伝説が変わったきっかけは何だったのでしょうか。
また、太子町には聖徳太子の投げ石伝説というのもあります。
聖徳太子は勝鬘経を講義したお礼として斑鳩の土地を賜ることになり、檀特山から石を投げて、届いた範囲の土地をもらったというのです。
太子町に5か所、姫路市に1か所の投げ石が伝えられています。
投げ石は荘園の境界を示すぼうじ石だったと考えられています。
檀特山の中腹には狐塚という大きな石があります。
その昔、千年坊という狐が村人にいたずらをしていたが、徳道上人の徳力で感動岩の下敷きになって死んだのを村人が哀れんで葬ったという伝説です。
感動岩は矢田部登山口のそばにありました。
それほど大きくはないですが、人力で動かせるとは思えない石です。それを徳道上人は徳力(念力か?)で動かしたとされています。
のちに長谷寺を創建し、あの世で閻魔大王に会って西国三十三ヶ所霊場を創った徳道上人。
まさに超人ですね。
徳道上人は太子町・矢田部の出身。いわば、地元の人です。
徳道上人が若い頃に修行した跡という籠り塚が地図にありました。トロッコ道の先端にあるように書かれているので、その方向に歩いてみました。
トロッコ道は炭焼きをしていたことの運搬道という道です。
どんどん歩いて行くと大きな竹藪がありましたが、籠り塚らしきものを見つけることはできませんでした。「内部は8畳ほどのある」と書かれているので、ある程度の大きさがあると思っていたのですが。
トロッコ道を抜けると大谷新道の登山口に出ました。
檀特山にはたくさんの登り口があるのですね。
高さもさほどでもなく、登山道も整備されているので、気軽な登山に向いた山だと思いました。
それと、応神天皇(約1600年前)、聖徳太子(約1400年前)、徳道上人(約1300年前)と昔々の人の伝説が残っている山でした。