兵庫県太子町は姫路市とたつの市に囲まれた人口33,000人の町です。町名の「太子」は聖徳太子にちなんで名付けられました。
はるか昔、この地は鵤荘(いかるがのしょう)という法隆寺の荘園の一つでした。
推古天皇14年(606)、聖徳太子35歳のとき、天皇のご依頼で勝鬘経や法華経を解説するお話をされました。喜んだ天皇は、太子に播磨国の水田100町歩(約120ha)を贈り、太子はそれを法隆寺に納めました。ここから聖徳太子と太子町の関係が始まります。
資料館では斑鳩寺に伝わる国重要文化財の「絹本著色 聖徳太子 勝鬘経講讃図」が公開されていました。
「聖徳太子勝鬘経講讃図」は勝鬘経を講義している聖徳太子を描いたもので、太子の廻りに息子の山背大兄王、蘇我馬子、小野妹子らが座っています。
資料館は「太子の四季」、「太子町歴史絵巻(年表)」へと、スロープを上りながら現在から過去へさかのぼって行きます。
展示室では、壺などの古代の出土品、法隆寺領鵤荘や斑鳩寺の古文書、近世の斑鳩宿などが展示されています。
資料館の入口の脇に宇宙飛行士の野口聡一さん植樹の木がありました。
野口さんは3歳から小学5年生まで太子町で暮らしていました。
現在はJAXAを退職されていますが、宇宙飛行士として大活躍をされた方で、3回宇宙飛行をしています。
2005年7月の宇宙飛行では15日間のミッションで3度の船外活動を行い、2度目の宇宙飛行では2009年12月から半年間、国際宇宙ステーションに滞在しています。3度目は2020年。このときはイーロン・マスクのスペースXのクルードラゴンに登場して宇宙へ飛び立っています。
そして、「2つの船外活動における最も長いインターバル」と「世界で初めて3種類の違う帰還(滑走路、地面、海面)を達成した」の2つのギネス記録を保持されています。
野口さんは太子町の名誉市民に認定されており、野口さんが通われた2つの小学校、太子町立斑鳩小学校とと茅ヶ崎市立浜須賀小学校は野口さんつながりで交流がおこなわれているそうです。
太子町と野口さんが繋がっているとは意外でした。