岐阜駅中央北口を出ると、金色に輝く織田信長公の像が現れます。
マントを羽織り、火縄銃を杖代わりにして、堂々たる姿で立っています。
まさに、戦国時代を切り開いていった信長!という姿です。

岐阜城は標高329メートルの金華山の山上にあります。山上へは歩いて登ることもできますが、金華山ロープウェーで上がりました。
2025年、金華山ロープウェーは70周年を迎えています。
パネルには斎藤道三、織田信長など、そうそうたるメンバーが並び、70周年をお祝いしていました。

ロープウェーの乗車時間はたったの4分。あっという間に山上に到着しました。
ロープウェーを降りて岐阜城に向かいますが、城までの道は段差の大きな石段が多く、意外とハードでした。
岐阜城の歴代城主
天守閣までの途中に、歴代の岐阜城主の説明がありました。
- 二階堂行政:鎌倉時代前期に初めて稲葉山(金華山)に砦を築く。
- 長井氏:大永5年(1525年)にクーデターを起こし、守護・土岐氏と斎藤一族を追い出す。
- 長井左衛門尉:斎藤道三の父。長井家で頭角を現す。(ただし、道三の父は岐阜城主に放っていない)
- 斎藤道三:長井規秀から斎藤利政と名を改め、主君である守護・土岐氏を追放して、美濃の実権を握る。 晩年、出家して「道三」と名乗る。
「マムシの道三」として知られる斎藤道三ですが、一代で美濃を治めたのではなく、父と二人で成し遂げたことでした。
- 斎藤義龍:天文23年(1554年)に道三から家督を譲られ、城主となる。
天文25年(1556年)、「長良川の戦い」で道三を討ち取る。 - 斎藤龍興:永禄4年(1561年)、斎藤義龍の急死により14歳で城主になる。
永禄10年(1567年)、信長軍の攻撃により稲葉山城を脱出する。 - 織田信長:永禄10年から天正4年(1576年)まで、岐阜城(稲葉山城)を天下統一の拠点とした。
- 織田信忠:信長の嫡男。家督を譲られ天正4年から、本能寺の変で亡くなる天正10年(1582年)まで城主を務めた。
- 織田信孝:信長の三男。三法師(信忠の子)の補佐役として岐阜の地を治める。
天正11年(1583年)、柴田勝家に味方して秀吉と戦うが、勝家が敗れ、自害した。 - 池田元助:賤ヶ岳の戦い後、美濃国を与えられ岐阜城主となる。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで戦死。 - 池田輝政:小牧・長久手の戦いを生き延び、池田家を継ぐ。
天正18年(1590年)に吉田城へ移るまで、岐阜城主を務める。 - 豊臣秀勝:豊臣秀吉の姉の子。豊臣秀次の弟でもある。
天正19年(1591年)から城主となる。文禄の役で、朝鮮で病死。 - 織田秀信:幼名三法師。文禄元年(1592年)に岐阜城主となる。
関ヶ原の戦い(慶長5年)で西軍に味方したため、東軍の攻撃を受け落城。高野山へ追放され、数年後に亡くなった。
慶長6年(1601年)、岐阜城は廃城となりました。
斎藤道三以降の岐阜城の城主で、平穏な最期を迎えられた城主は池田輝政だけです。戦国の世は厳しいですね。
ようやく天守閣が見えてきました。
昭和31年(1956年)に再建され、平成9年(1997年)の大改修工事によって造られたものです。

城内には織田信長に関する多数の資料が展示されています。
金華山のふもとに造られた信長の壮麗な屋敷や山上の館を再現VRで見せてくれます。
山上の館は、信長が暮らす場でもあり、賓客をもてなすための空間でもあったようです。

最上階からは濃尾平野を見下ろすことができ、約20キロ離れた小牧山城が遠くに見えます。さらに信長の旧本拠地である清州城までは約30キロ。
念願だった岐阜城を手に入れ、この光景を見た信長は何を考えたのでしょうか。




















