熱田神宮におまいりしました。
荘厳な神社でした。
神社の入り口は西門、東門、南門の3か所あります。
名鉄神宮前駅に近い東門から入りました。
大きな木の鳥居が建っています。無垢の木のままなのが、神域を感じさせます。
鳥居をくぐると中に入ると、参道両側の木々が日陰を作ってくれています。暑い日だったので助かりました。
本殿の方へ歩いていくと、途中に「信長壁」があります。
「信長壁」は三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並ぶ日本三大土塀の一つ、という説明がありました。瓦を積み重ねた構造をしています。
永禄3年(1560)5月19日(6月12日)、今川勢が織田軍の丸根砦、鷲津砦に攻撃を開始。
信長は幸若舞「敦盛」を舞い、小姓5騎のみを連れ城を飛び出ます。
8時頃、熱田神宮に着いた信長は軍勢を集結させ、勝利祈願を行います。
正午過ぎ、織田軍が今川勢を攻撃。今川義元が討たれ、織田が勝利します。
信長壁はこの勝利のお礼に信長が奉納したものです。信長も神を全く信じてなかったわけではなさそうです。
織田信長は、巨大な安土城を作ったとか、鉄砲を使った革新的な戦術を作ったなど、神格化されている感じもありましたが、勝利の御礼に土塀を奉納した、その土塀は瓦を積み重ねたものだったというので、なんとなく親近感がわきました。
熱田神宮のご祭神は熱田大神。熱田大神とは三種の神器の一つである草薙剣をご神体とする天照大神のことだそうです。
東国征伐に向かったヤマトタケルノミコトは叔母のヤマトヒメから天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を授かります。
駿河の地で罠にかけられ、四方から火をかけられ窮地に陥りますが、天叢雲剣で草を薙ぎ払い、火打石で向かい火を放って危機を脱します。このことから、焼津という地名が起こり、草を薙ぎ払った剣は草薙剣と呼ばれるようになりました。
東国を平定し尾張の国に戻ったヤマトタケルノミコトは草薙剣を妻のミヤズヒメに預けて伊吹山の悪神退治に向かいます。
このあと、ヤマトタケルノミコトは尾張に戻ることなく亡くなるのですが、ミヤズヒメが草薙剣を守り、それが熱田神宮に受け継がれたようです。景行天皇43年(西暦113)とされています。
本宮の前は広い空間となっています。すがすがしい感じがしました。
古い歴史を持ち皇族や武将からの信仰も厚かった熱田神宮には様々なものが残されています。
宝物館には約6,000点の資料が収蔵されています。
樹齢1,000年以上という楠があります。
幹周7.7m、樹高20mで弘法大師お手植えといいます。ものすごく大きい楠です。
この楠は織田信長が軍勢を集めた朝のことを見ていました。
最後に境内マップに正門と書かれていた南門へも行きました。
東門と同じ、迫力ある鳥居が建っています。
熱田神宮は大きな荘厳な神社でした。