豊橋・吉田城

豊橋にある吉田城を見学しました。
池田輝政は姫路に入府する前は吉田城の城主で、この吉田城でも大改修を行い今日の姿にしたといわれています。

豊橋駅前から市電に乗ります。
市電は7分間隔で発着するで便利です。料金は180円。
吉田城がある豊橋公園へは市役所前駅で降ります。

市電

市役所前駅で降りると、左手に屋根に大鷲を抱いた建物がありました。
豊橋市公会堂でした。
昭和6年(1931)に建てられたもので、正面の円柱状のアーチ、4羽の鷲、円形の屋根など印象的な建物です。
創建当時の鷲もありました。かなり大きいですし、精巧に作られています。

豊橋市公会堂
創建当時の鷲

公会堂の横を通っていくと豊橋公園です。きれいな花時計がありました。

豊橋公園
花時計

吉田城に向かう途中に彌健神社というのがありました。豊橋にあった歩兵18連隊の神社で、神武天皇像は歩兵第18連隊の戦病死者を追悼するために建てられたものだそうです。

彌健神社
神武天皇像

歩兵第18連隊は明治中期に創設され、日清、日露、日中戦争、太平洋戦争で戦いました。部隊は豊橋公園あたりに兵舎があり、公園入口の門は兵舎正門でした。

歩兵第18連隊址碑

吉田城は豊川の城主・牧野小白が永生2年(1505)に築城したことが始まりとされています。

吉田城

この城の持つ重要性から、吉田城をめぐって激しい攻防が繰り広げられました。城主もめまぐるしく代わっています。
城の裏には大きな豊川が流れているので城の防御は固そうに見えるのですが、城の説明版によると、この縄張りは河川を背にして戦う「背水の陣」となり、河川を渡って本丸を直接攻撃されやすいという欠点があるそうです。長所が短所にもなっているのですね。

城の裏手
城の裏を流れる豊川

城の中に入ります。入場料は無料です。
1階は場内案内、2階は吉田城の歴史、3階は江戸時代の豊橋、4階には最上階で城下町・吉田宿の浮世絵が展示されています。

吉田城入り口

2階 吉田城の歴史

お城に行けば必ず甲冑は展示されていますね。夏の戦いだと、甲冑を身に着けると暑くて、重くて大変だったでしょうね。

甲冑
吉田城の模型

永正2年(1505)、牧野小白が吉田城(当時は今橋城)を築城。
永正3年(1506)、戸田氏と城の争奪戦を戦う。牧野小白討死。
永正16年(1519)、牧野氏が城を奪回する。
大永2年(1522)、吉田城に改名。
享禄2年(1529)、松平清康(家康の祖父)が吉田城を攻略。
天文4年(1535)、今川氏の攻撃により松平氏撤退。
天文15年(1546)、今川義元が吉田城を攻略し、東三河の拠点とする。
永禄11年(1564)徳川家康が吉田城を攻略。城主に酒井忠次を置き、天正18年(1590)に池田輝政が城主になるまで吉田城主を務める。
元亀2年(1571)には武田信玄が吉田城を攻撃。城主・酒井忠次は城を守り抜いた。翌年の元亀3年には三方ヶ原の戦いが発生。
天正18年(1590)、城主になった池田輝政は吉田城主を11年間務め、城の改修と城下町の整備を行う。
明治2年(1869)、廃城。
明治18年(1884)、豊橋城址は歩兵第18連隊の屯営となる。
昭和24年(1949)、豊橋公園として一般に開放される。

慶長5年(1600)に輝政は姫路城主になるのですが、姫路城の大改修や城下町の整備は吉田城で練習ができたのかも知れないですね。

3階 江戸時代の豊橋(吉田宿、城下町)

豊橋は東海道の宿場・吉田宿でした。
その頃から吉田神社の手筒花火、安久美神戸神明社の鬼祭りの祭礼は盛んだったようです。

手筒花火
鬼祭り

4階 天主

最上階の4階からは背後の豊川がよく見えます。川を渡ってくる敵はすぐに発見できたでしょう。吉田宿や役者を描いた浮世絵が展示されています。

天主から見る豊川
浮世絵

姫路城を築いた池田輝政が改修したお城ということで、どういう城だろうかと期待していたのですが、お城は正直小さかったです。
でも、城内の展示や豊橋公園の歴史など、楽しい訪問となりました。

豊橋公園のひまわり