滝口寺にお参りさせていただきました。
滝口寺は苔で有名な祇王寺のお隣にあります。

祇王寺と同様に、滝口寺も往生院という大寺院の子院でした。かつては三宝寺と呼ばれていましたが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、昭和に入り、滝口寺として再興されました。
宮中警固に当たる滝口の武士であった斎藤時頼と建礼門院の雑仕女・横笛の物語が『平家物語』に描かれています。
滝口の武士・斎藤時頼は、花見の宴で舞を披露した美しい横笛に心を奪われた。
二人は互いに想いを寄せるが、身分差のある二人の恋を時頼の父・斎藤時光は許さなかった。
叶わぬ恋を諦めるため、時頼は往生院に出家し、仏門に入った。
そのことを知った横笛は、時頼を探し求めて嵯峨をさまよい歩くうちに、時頼が念仏する声を聞き、庵の戸を叩く。
そっと戸の隙間から覗き見る時頼。
泣いている横笛を抱きしめたい思いをこらえ、修行の妨げと、顔を合わせることもなく、横笛を追い返した。
その日はなんとか我慢できたが、次は耐えられないと観念した時頼は高野山に旅立った。
そして、横笛は髪を下ろして尼になった。
2人がすれ違いのまま終わったとき、時頼は19歳、横笛は16歳でした。若くて、相手への思いは激しかったのでしょうね。若き日の恋ですが、現在でも親に反対されるケースはたくさんあるでしょうね。

本堂には滝口入道こと斎藤時頼と横笛の像が並んで安置されています。
木像になった二人は寄り添うことができました。
境内は小さいですが、奥に進むと、新田義貞の首塚、勾当内侍(こうとうのないし)の供養塔がありました。調べてみると、首塚については次のエピソードが伝えられています。

延元3年(1338年)、足利尊氏との戦いに敗れた新田義貞の首は、京都の六条河原に晒された。ある夜、首が盗み去られ、勾当内侍によって往生院に手厚く葬られたと伝えられ、勾当内侍は義貞の菩提を弔うために出家し、往生院に庵を結んだ。
勾当内侍供養塔は昭和7年(1932)に建立されました。

また、滝口入道・斎藤時頼と平家一門を供養する平家供養塔、斎藤時頼が仕えた平重盛を祀る小松堂が建っています。

滝口寺には、お隣の祇王寺と違って苔庭はありません。しかし、境内周回路にはすばらしい竹林などがありました。そして、参拝者が少ないこともあって、静かでした。
滝口寺は、滅びゆく運命を背負った人々、特に女性たちの哀しい想いに彩られたエピソードにふさわしい寺だと感じました。


















