駒林神社
駒林神社は長田港に面して鎮座されています。昔から駒林神社は海に関係する重要な役割を果たしていたようです。 駒林神社宮司 中山信一氏が書かれた「左義長の研究」という資料には次のようなことが記されていました。 務古(武庫)の...
駒林神社は長田港に面して鎮座されています。昔から駒林神社は海に関係する重要な役割を果たしていたようです。 駒林神社宮司 中山信一氏が書かれた「左義長の研究」という資料には次のようなことが記されていました。 務古(武庫)の...
大倉山公園を歩いていたら大きな石のモニュメントのようなものがありました。伊藤博文の像の台座でした。 第二次世界大戦まではこの台座の上に高さ3mの伊藤博文の像があったそうです。自身が中心となって起草した帝国憲法の草案を持ち...
長田神社にお参りしました。長田神社のご祭神は事代主神。日本書紀に長田神社創立の物語が語られています。 新羅より帰ってこられた神功皇后の船が浪速の津に入ろうとしたところ、大阪の海上で船がぐるぐるまわり進まなくなってしまった...
平家の武将・平忠度の腕塚、胴塚が神戸市長田に残っています。平忠度は平清盛の末弟。武勇に優れただけではなく、歌人としても名高く、藤原俊成に師事し勅撰和歌集に11首が採用されています。 平忠度は一ノ谷の戦いでは西木戸を守る大...
一ノ谷の戦いで討ち死にした平盛俊の塚と墓が神戸市長田に残っています。 平盛俊は「六、七十人して上げ下ろす船を、ただ一人しておし上げおし下ろす程の大力たり」という怪力の持ち主。平家屈指の猛将でした。 一ノ谷の戦いでは山手の...
阪急花隈駅の北側に花隈城跡があります。織田信長が有岡城主(伊丹城)の荒木村重に命じて築城させたといわれます。神戸の中心地に近いところにお城があるとは?と思ったのですが、花隈駅の北側は台地に、南側は海が迫ってきていて、守り...
兵庫津にある能福寺は巨大な兵庫大仏、平相国廟、月輪影殿、ジョセフ・ヒコの英文碑などがある天台宗のお寺です。 延暦24年(805)、伝教大師(最澄)は唐からの留学の帰り、和田岬に上陸します。地元の人々は喜び迎え、堂宇を建立...
神戸市にある真光寺は時宗の開祖・一遍上人がお亡くなりになったお寺です。 正応2年(1289)7月、病を得た一遍と時衆たちは淡路島から明石に渡り、光明福寺の観音堂に入ります。8月23日、看護の甲斐なく一遍上人51歳で往生。...
新川運河沿いを歩いてみました。ここには平清盛に関連するお寺、兵庫の港の史跡が多く残っていました。 まず、清盛くんが出迎えてくれました。平清盛によって経ヶ島などが建設され、大輪田泊は日宋貿易の拠点になりました。その後、大輪...
清盛像を中心に石像十三重塔、琵琶塚が並んでいます。 石像十三重塔が清盛塚です。 台石に弘安9年(1286)の銘があり、北条貞時の建立と伝えられています。平清盛の墳墓と考えられてきましたが、大正12年の道路拡張工事の際の調...