生田神社

生田神社におまいりしました。

ご祭神は稚日女尊(わかひるのみこと)。
「稚く瑞々しい日神たる女神」です。
日本書紀では、稚日女尊が神衣を織っていたら、スサノオノミコトが剥いだ馬の皮を投げ入れ、それに驚いた稚日女尊は持っていた道具で体を傷つけて亡くなったとされています。

生田神社の創建は神功皇后の三韓征伐と関係があります。

三韓征伐の遠征から帰ってこられた神功皇后の船が浪速の津に入ろうとしたら、大阪の海上で船がぐるぐるまわり進まなくなってしまった。神様のご意思を確かめるため、船を武庫の水門に着け、占いをした。
すると、天照大神は広田の国に祀ってほしいと言われた。稚日女命は生田の国に、事代主命は長田の国にまつれと申された。
そこで、海上五十狭茅(うなかみのいさち)に命じて生田に稚日女命を祀らせた。

このとき、生田神社とともに長田神社、広田神社、住吉大社が創建されました。神戸、大阪の瀬戸内海沿岸の勢力、時代が変わったのでしょうか。

生田神社はもともと旧生田川の上流にあたる新幹線新神戸駅の裏側の布引山(砂山)に祀られていました。ところが、延暦18年(799)、大洪水により山が崩れそうになったところを、刀袮七太夫という若者が御神体を救い出し、現在地に移したといわれています。

砂山には松が茂っていましたが、洪水の土砂崩れには何の役にも立ちませんでした。
役に立たない松を生田の神は嫌いになられて、「今後、境内に松の木は忌むように」と告げられました。

杉盛

生田神社には松の木は一本もなく、社殿にも松は用いられていません。
そして、正月には「門松」ではなく「杉盛」を立てます。徹底しています・・・

稚日女尊は神の衣を織る神様。「糸を合わせて織りなす」ということから、人と人の縁を結ぶ。生田神社は縁結びの神様です。

初詣

ハート型絵馬がたくさん掛かってます。みんな、うまいこといったらいいのにね。
でも、こんなにたくさんあると、迫力というか、執念というか、ちょっと怖い感じもします。

社殿の背後にある生田の森はパワースポット。
その中に「安産・万物成長・生田の森の守り神」である神功皇后をおまつりする生田森坐社(いくたのもりにいますやしろ)があり、その横には水占の金龍泉。
この水みくじは当たるとすごい評判らしいです。

生田森坐社
金龍泉

この生田の森は源平合戦の舞台でした。
平家側はこの森に陣を構え、源氏軍が攻め込みます。

生田の森
生田の森

源氏側の先陣をきった河原兄弟。箙(矢を入れる武具)に梅をさして戦った梶原景季など、生田の森での戦いが平家物語で歌われています。

いろいろな歴史、エピソードがある生田神社。戦いには関係なく、恋の水占ができる今が、神様の稚日女尊も喜んでいると思います。。。もしかして、恋の水占も戦いか?