京都市上京区にある首途八幡宮(かどではちまんぐう)にお参りしました。
「首途」と書いて「かどで」と読みます。

鞍馬寺を出た牛若丸こと源義経が、奥州平泉に向かう際に、この地から旅立ったと伝えられています。
参道には平成16年に建立された「源義経奥州首途之地」の碑がありました。

神社の説明板には次のことが説明されていました。
元の名を内野八幡宮といい、平安京の大内裏の北東に位置したため王城鎮護の神とされた。
首途八幡宮の説明板より
かつて、この地には奥州(東北地方)で産出される金を京で商うことを生業としていた金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経(牛若丸)は奥州平泉に赴く際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれている。「首途(かどで)」とは「出発」を意味し、この由緒により「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。
別の説明板には内野八幡宮のことが書かれています。
桃園親王の旧跡として知られ境内地も広く池あり築山あり桃の木多く花爛漫と咲き稚児舞の奉納などありその情景は絵巻物の感あり諸人の崇敬厚く神験も広く及び古来神威盛んな神社として神徳をたたえられている。
首途八幡宮の説明板より
高倉天皇承安4年(1174)三月三日源九郎義経が祐途の首途にあたり鞍馬山から当社に参拝し旅の安全と武勇の上達を願い宇佐八幡宮の神霊を勧請鎮められたのを創始として首途八幡宮と称する。

承安4年(1174)3月3日、鞍馬寺を出た義経は、奥州の金売商人・吉次の屋敷に逃げ込み、内野八幡宮に参拝して旅の安全を祈った。このとき義経は16歳(満15歳)だったそうです。
「桃園親王」とは、平安時代前期の皇族・貞純親王の別称で、彼の屋敷が「桃園」と呼ばれていたことに由来するようです。
また、貞純親王は清和源氏の祖とされる人物でもあります。
清和源氏は貞純親王から源満仲、源義家、源頼朝と続く、武家のメインストリームとなった系統で、義経も清和源氏の系統です。そういうこともあって、鞍馬寺を出た義経は内野八幡宮に参拝したのかもしれません。
しかし、貞純親王は「桃園」と呼ばれるような優雅な屋敷を構えていたことから、武勇を誇るような人物ではなかったのではないかと思います。
自分の子孫が武家の棟梁になって、天下を治めるとは想像もしなかったでしょう。

神社の横は桜井公園です。小川が流れていて、木々も多く庭園のような雰囲気があります。
桜が多く植えられており、春は桜が咲いて美しいそうです。
この公園こそ桃園親王こと貞純親王の想いが伝えられている場所ではないかと思いました。



















