貝塚市に天体望遠鏡がある「善兵衛ランド」という資料館があります。
名前は江戸時代、貝塚で望遠鏡を製作した岩橋善兵衛に由来しています。

館内に入ると、職員の方が案内してくれました。
まずは天文台です。
天文台
善兵衛ランドには大きな天体望遠鏡が備え付けられています。
ドームを開いて、天体望遠鏡で星を見せてくれました。

まずは太陽です。
大きなプロミネンスが吹き上がり、ところどころに黒点があります。黒点は地球と同じくらいの大きさだと説明してくれました。地球の小ささを実感しました。
次に見せてくれたのは恒星ベガ。こと座の星で、七夕のおりひめ星です。地球からは23光年の距離で、宇宙で言えば、お隣さんだそうです。
天体望遠鏡で星を見たのは初めてだったので、良い経験になりました。
岩橋善兵衛
善兵衛ランドの2階には、岩橋善兵衛の業績と彼が製作した望遠鏡が展示されています。

善兵衛の略歴
- 宝暦6年(1756):現大阪府貝塚市の魚屋の次男として生まれる。
のちに眼鏡の玉磨き(レンズ磨き)職人として生計を立てる。 - 寛政5年(1793):天体望遠鏡「窺天鏡(きてんきょう)」を完成させる。
同年7月20日(新暦では8月26日)、日本で最初の天体観望会を催す。 - 寛政8年(1796):幕府天文台に望遠鏡を提供。
- 寛政12年(1800):善兵衛製作の望遠鏡を使い、伊能忠敬が全国測量を開始する。
- 享和元年(1801):星宿・月齢・潮汐の早見盤『平天儀』を作成する。
- 享和2年(1802):平天儀の理論および天文学の基礎を解説した『平天儀図解』を著す。
- 文化8年(1811):56歳で没。

たくさんの望遠鏡が展示されています。筒の部分の意匠は芸術品のようです。
職員の方は、
「天文学者だけでなく、大名たちも善兵衛の望遠鏡を購入した。
当時の望遠鏡は船の航路確認や遠方の視察など、現在の双眼鏡のように使われていた」と教えてくれました。
善兵衛が作った望遠鏡は以下の点で高く評価されていたそうです。
- くっきり見えるなど、性能がずば抜けていたこと。
- 和紙と漆で造られており、軽かった。さらに伸縮ができコンパクトになったので携帯性に優れていた。
善兵衛が実家の魚屋から眼鏡職人になり、さらには望遠鏡製作に取り組むことになったのが不思議です。
どのようなきっかけや経緯があったのでしょうか。
伊能忠敬・大日本沿海輿地全図(伊能図)
1階には伊能忠敬が作った日本地図のうち、近畿地方の図が原寸大で展示されていました。
その大きさに驚きました。
近畿の各地域が、それぞれ畳一畳の大きさに描かれています。

そこには、当時存在した村が細かく記入されており、姫路も詳しく描き込まれていました。
現在も残っている地名が多く、他の見学者の方々も自分の住んでいる町の地図に見入っていました。

それにしても、伊能忠敬の地図がこんなに大きなものとは思ってもみませんでした。
今ではもっと詳細な地図がスマホに表示されるのに。
この大きさと記入された地名を見ると、人が実際に歩いて、手で描いた地図だということを感じました。
人生初の天体望遠鏡、善兵衛の美しい望遠鏡、そして伊能忠敬の巨大な地図を体験できた善兵衛ランドは、知的好奇心が満たされる素晴らしい資料館でした。
参考文献
江戸時代の天文学【10】 岩橋善兵衛 小林英輔(貝塚市立善兵衛ランド)
岩橋家によって製作された 3 点の小型一閑張望遠鏡の発見 株本訓久
江戸時代前期の日本望遠鏡 中村士



















