京都の嵯峨にある大覚寺を訪問しました。
大沢池を含む広大な境内を持つ大覚寺は、嵯峨天皇の離宮(別荘)だったという、真言宗の大本山です。

門を入っていくと、いけばなが展示されていました。

大覚寺は「いけばな嵯峨御流(さがごりゅう)」の家元です。
嵯峨天皇が大沢池の菊を手に取り、花瓶に挿したことが「いけばな嵯峨御流」の始まりとされています。
生け花の池坊は頂法寺六角堂が発祥です。生け花はお寺が育んだ文化なのだと感じました。
堂内に入り、回廊を渡っていくと、八角形の心経殿という建物がありました。

弘仁9年(818)、疫病が流行した際、空海の勧めによって、嵯峨天皇は疫病退散の祈りを捧げて、般若心経を写経しました。すると、たちまち疫病は収まったとされています。
般若心経を写経するという行為が奇跡を生みました。
心経殿には、嵯峨天皇の般若心経だけでなく、後光厳天皇など六天皇の御宸筆の般若心経が納められています。これらの写経は「勅封」とされ、60年に一度しか開封されません。
大覚寺では嵯峨天皇御宸筆の般若心経こそが最も重要で、実質的に御本尊であると考えられ、大覚寺は心経写経の根本道場とされています。
五大堂では一般の方も写経をされていました。堂内は静かで、凛とした空気が漂っているかのようでした。
ここで写経したお経は、心経殿に奉納されるそうです。自分が書いたお経が嵯峨天皇の御宸筆と同じ心経殿に納められるなんて、素敵なことだと思いました。
五大堂を出ると大沢池が目の前に広がります。東京ドームよりも一回り大きい、約6ヘクタールの面積がある大きな池です。そして、これが人工の池というから驚きます。
秋は紅葉で絶景とのことですが、訪れたのが12月中旬だったので紅葉は終わっていました。

池の周りにはいろいろな文化遺産が残されています。
「名古曽の滝跡(なこそのたきあと)」という看板があるので行ってみると、わずかな石組みのようなものがあるだけです。

これは平安時代末期にはすでになくなった滝の跡で、平安時代の歌人藤原公任(ふじわらのきんとう)が詠んだ歌にちなんだものでした。
滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
この歌があったからこそ、名古曽の滝は千年以上の時を超えて忘れ去られませんでした。
「形」は失われても「名(言葉)」が残り続ける。文化の力は偉大ですね。


















