京都嵯峨路にある祇王寺を訪問しました。
平清盛の愛妾だった祇王が過ごしたという寺です。

門を入ると、苔の庭園が広がります。
紅葉の盛りを過ぎていましたが、苔の緑と朱色の葉、白い樹木が美しい。

茅葺き屋根の小さなお堂があります。
中には、祇王、妹・祇女、母・刀自(とじ)、仏御前、そして平清盛の木像がありました。

平家物語では祇王の話が語られます。
平清盛の寵愛を集めていた白拍子の祇王。
ある日、清盛を訪ねて仏御前という若い白拍子がやってきました。清盛は相手にせず追い返そうとしたが、祇王が憐れんで「会ってくだされ」と取りなした。
清盛の前で歌い、舞う仏御前。あまりの素晴らしさに心を打たれてしまう清盛。
清盛は仏御前を屋敷に招き入れ、代わりに祇王を追い出した。
追い出された祇王は祇女、刀自とともに出家し、嵯峨路で暮らし始める。
しばらくたって、親子3人で念仏をしていると、戸を叩く音が聞こえた。
誰が来たのかと思いながら戸を開けると、仏御前だった。
仏御前も出家し、祇王と一緒に暮らすようになった。
平清盛の前で歌って踊る仏御前の姿は、アイドルがオーディションを受けているかのような情景です。
仏御前はオーディションに合格して、祇王に代わって清盛の愛妾となりました。
しかし、清盛の寵愛を得ようと訪れた白拍子は、仏御前が初めてではなかったはずです。選に漏れた多くの女性たちは、その後どのような人生を歩んだのでしょうか。
それにしても、平家物語では平清盛は浅ましく、ひどい男として描かれています。平家を発展させ、日宋貿易を志した清盛が、本当にそういう人物だったのかと疑問も湧きます。
そして、祇王、仏御前は若い。このとき、祇王は21歳、仏御前に至っては16歳。寿命が短い時代とはいえ、この若さで出家し、世を捨ててしまうなんて。
しかも、嵯峨路は清盛たちが暮らした六波羅からわずか13キロほど、歩いても数時間の距離です。祇王たちの年齢や距離感が、当時の社会が現代とは全く異なることを示していると感じました。
境内には祇王、祇女、刀自の宝篋印塔(左側)、平清盛の五輪塔(右側)がありました。 明和8年(1771)に祇王の「六百年忌」として建立されたそうです。

祇王寺はかつての往生院の境内にあり、明治の廃仏毀釈でいったん廃寺になったものの、明治28年(1895)に再興されたという歴史を持ちます。廃寺になったときに、嵯峨御所大覚寺によって墓や仏像が保管された関係から、大覚寺の塔頭寺院になっています。
それにしても、苔が生えた境内は美しいです。祇王たちが暮らした頃は、苔が生えていたのでしょうか。
















