加古川・野口城址
秀吉が戦った野口城址を訪ねました。三木城の別所勢と秀吉が対立したとき(加古川評定)、野口城は別所方についたため、秀吉に攻撃されました。教信寺から野口神社の方向ですぐの道を左に入ると小さい祠があります。この祠が野口城の跡で...
秀吉が戦った野口城址を訪ねました。三木城の別所勢と秀吉が対立したとき(加古川評定)、野口城は別所方についたため、秀吉に攻撃されました。教信寺から野口神社の方向ですぐの道を左に入ると小さい祠があります。この祠が野口城の跡で...
黒田官兵衛が初陣を飾った青山の戦い。青山ゴルフ場内の千石池の手前(ゴルフ場の外)に、古戦場跡を示す石碑が建てられています。 戦いがあったのは黒田官兵衛が24歳、その妻 光姫(てるひめ)が17歳の時でした。 永禄十二年(1...
黒田官兵衛の妻 光(てる)の実家であった志方城跡を訪ねました。 官兵衛のトレードマークである合子形兜は義理の父 櫛橋伊定(くしはしこれさだ)から譲り受けたものです。婿の官兵衛に兜をあげたというのは、娘の夫に期待したものが...
御着城は黒田官兵衛の主人である小寺家の城です。御着城址はJR姫路駅から東へ二駅の御着にあります。黒田官兵衛の時代は小寺政職が御着城主で、黒田家の姫路城より御着城のほうが大きい城でした。 現在、本丸と二の丸跡にお城の形をし...
羽柴秀吉による播州の侵攻の前は、今とはまったく違う姫路があったようです。英賀に三木氏の英賀城、御着に小寺氏の御着城がありました。当時、姫路城は小寺家の家老・黒田家の居城であったようですが、城は小さく、天守などもなかったよ...