赤穂市歴史博物館

赤穂市立歴史博物館は平成元年(1989)に建設された博物館で、愛称は「塩と義士の館』です。
1階で赤穂の塩作り、2階には赤穂城、赤穂の町の模型があり、義士についての説明があります。赤穂義士シアターで赤穂義士の説明、文楽の仮名手本忠臣蔵を見ることができました。

赤穂の塩は「入浜塩田」という方法で作られていました。
この方法は瀬戸内海の各地に伝わります。

赤穂市立歴史博物館展示解説シートより

入浜塩田は干潮と満潮の水位差を利用したもので、塩を作る塩田地盤の外には堤防を築くという方法です。いろいろな作業、装置を使っての塩作りで、家内制工業のイメージはなったくなく、現代の製鉄所に似た装置産業のようです。
江戸時代はここまで進んでいたんだと、驚きました。

赤穂城とその城下町は海岸沿いのデルタ地域に建てられていました。そのため、井戸を掘っても海水が出てくるので、千種川の水を水道管を使って城下町に供給したようです。

赤穂市立民俗資料館に水道管が展示されていました。
この赤穂市上水道は池田輝政が播磨藩主だったときに作り始められました。江戸時代、明治、大正と使い続けられ、昭和19年まで320年間使われたそうです。

赤穂上水道の水道管

仮名手本忠臣蔵は元禄15年(1702)の赤穂浪士の討ち入りから47年後の寛延元年(1748)に初演された人形浄瑠璃です。
時代設定は太平記の頃に設定され、登場人物も浅野内匠頭は塩冶判官高定、吉良上野介は高師直、大石内蔵助は大星由良之助に変えられています。
文楽を観るのは初めてです。黒衣の役割、人形の繊細な動き、太夫のセリフなど。おもしろい感じもしましたが、楽しむためにはルールを知るとか、慣れが必要だと思いました。

赤穂の塩作りとか、討ち入り事件の説明とか、充実した展示でした。
文楽を観ることができてよかったと思います。

米倉を再現した外観