大物くずれ

尼崎市大物にある大物くずれの跡地を訪問しました。

享禄4年(1531)、細川晴元と細川高国の管領家同士の戦いが始まりました。播磨からは赤松晴政、浦上村宗が細川高国の勢力に加わります。

赤松晴政は赤松義村の息子です。父の義村は播磨の旧領を回復する戦いの中で、守護代であった浦上氏に敗れ、殺されました。

赤松晴政は細川高国、浦上村宗に味方しましたが、細川晴元との戦いが始まると、裏切りを行います。この裏切りにより高国・村宗軍は総崩れになり、浦上村宗は戦死。
父・義村の敵を討ちました。

晴政の苦闘は村宗を討ったあとも続きます。
村宗の子の浦上政宗との戦い、出雲の尼子晴久の播磨侵攻、別所氏、小寺氏との対立。
最後は尼子晴久が備前・美作守護職に任じられたため、所領が5カ国から3カ国に減り、肝心の播磨経営も浦上氏との戦い、播磨の武将たちとの戦いで、赤松氏は分裂。守護大名の地位を失いました。

晴政は永禄8年(1565)に死去しました。墓は置塩城の近くの松安寺跡にあります。