丹波・柏原散策

江戸時代、丹波市柏原は織田家が治めた土地でした。
織田信長の弟・信包から3代続きますが、嫡子がいなかったため御家断絶。その後、幕府の天領時代を経て、織田信休が柏原藩を再興。その後、明治維新まで柏原を治めました。

JR柏原駅から柏原藩陣屋の方へ向かうと太鼓櫓が現れました。
建屋の中にはお侍がいます。太鼓を叩こうとしているようです。

観光案内所の手前に大きな木があります。
この木は樹齢1000年と推定される大ケヤキ。その根が川(奥村川)をまたいでいて、木の根橋といいます。すごく太い根で迫力がありました。

大ケヤキ
木の根橋

柏原藩陣屋

柏原藩陣屋として長屋門、藩主織田家の居館跡が残っています。陣屋の周りには、柏原藩初代藩主の織田信包公や田ステ女の像、柏原歴史民俗資料館などがあります。

柏原藩初代藩主・織田信包公

長屋門と居館跡の建物は織田柏原藩を再興した織田信休公が築いたものでした。
織田信休公は後期柏原藩(織田信長の息子・信雄の系統)の初代藩主です。

長屋門
柏原藩陣屋

長屋門の向かいには柏原歴史民俗資料館があります。ここは田ステ女記念館が併設されていて、柏原藩織田家の歴史と田ステ女の資料が展示されています。

柏原歴史民俗資料館

太鼓櫓

櫓は三層となっていて、最上層に「つつじ太鼓」と呼ばれる太鼓がつるされていました。
普段は時報として太鼓が叩かれました。
また、藩主が参勤交代で江戸から帰ってきたときや火事が発生したときにも叩かれたそうです。

太鼓櫓

織田神社

織田神社のご祭神は織田信勝公。前期柏原藩(織田信長の弟・信包の系統)の3代目藩主です。
信勝公は新田開発や堤防建設などを行いましたが、信勝公が亡くなったときに跡継ぎがいなかったため、前期柏原藩は改易となりました。

織田神社

建勲神社

建勲神社は織田信長を祀る神社です。織田信長を祀る神社は柏原、京都、天童の3か所しかないそうです。
「柏原藩主が藩邸内に祠を建て信長を祀ったのが始まりで、明治3年に建勲神社となった」という説明がありました。信長を大々的にお祀りしたわけではなかったようです。

建勲神社
建勲神社拝殿

織田家廟所

後期柏原藩の織田信休以降の歴代藩主の墓所です。
ここは明治維新で廃寺になった徳源寺というお寺の境内だそうです。

織田家廟所
歴代藩主の墓

田ステ女公園

江戸時代の女流俳人・田ステ女は柏原出身です。
ステ女は夫の季成が亡くなったあと、柏原高谷に庵を結び、千日の間ひたすら念仏に明け暮れ夫の菩提を伴いました。
現在。庵のあとに「ステ女公園」が造られています。

田ステ女公園のステ女像

ステ女は6歳のときに
「雪の朝 二の字 二の字の 下駄のあと」
という句を読みました。
雪が積もったあとに下駄の跡が続いている情景が浮かんでくる句です。

ステ女像

柏原八幡宮

柏原八幡神社は入船山頂にご鎮座されている歴史の古い神社です。
厄除けの神威が高い神社として信仰され、「柏原の厄神さん」と親しまれているそうです。

柏原八幡宮鳥居
社殿

社殿は天正13年(1585)に羽柴秀吉によって寄進されたものでした。

大きな三重塔がありました。
文化10年から12年(1813〜1815)にかけて建立されたそうです。

三重塔

たんば黎明館

たんば黎明館という洋風建物があります。
明治18年に建設された旧氷上高等小学校の校舎を改造したものでした。
中は建物の資料展示とフランス料理のレストランになっています。

柏原は色々と見るところがある街でした。しかも、それぞれの見所がコンパクトにまとまっており、見て回るのも楽でした。