源氏物語の寺・現光寺

源氏物語の主人公・光源氏が住んだという現光寺に行ってきました。
源氏物語はフィクションなので、その主人公が住んだ場所は実際にはありえませえん。
しかし、須磨が観月の名所だったこと、平安時代初期の歌人・在原行平が須磨に住んでいたことにヒントを得て、紫式部が源氏物語・須磨の巻で光源氏を須磨に住むストーリーを作り、それがいつのまにか本当に光源氏が住んでいたという伝説になっていったようです。

門前には大きな源氏寺の石碑があります。
古くは、現光寺は「源氏寺」「源光寺」と呼ばれていました。
石碑には須磨の巻の一節が刻まれています。

おはすべき所は行平中納言の
藻潮たれつつわびける家居近き
わたりなりけり海面はやや入りて
あわれにすごげなる山なかなかり

説明板より
源氏寺の石碑

『お住まいになられた所は、在原行平中納言が、「藻塩たれつつ」と詠んだ侘住まいの近くであった。海岸からは少し入り込んだ、寂しい山の中である』という内容です。
今は寺の横に大きな道が通り、住宅街になっているので山の雰囲気は全くしないのですが、少し小高くなっているので、平安時代にはうら寂しい山の中だったのかもしれません。

本堂
松の木

本堂の横に大きな松の木があります。曲がり具合がなんとも言えず、由緒がありそうな感じです。
木のそばに『謡曲「須磨源氏」と現光寺』という看板がありました。

日向の国宮崎の社宮藤原興範が伊勢参宮の途中に須磨に立ち寄ると年老いた木こりが桜の木陰から現れ、光源氏の一代の略歴を物語り、自分はその化身であることをほのめかす。その夜、旅枕の興範の前に菩薩となっている光源氏が兜率天より気高く優麗な姿で天下りし、在りし日の須磨の暮らしを回想しつつ青海波の舞を舞って夜明けと共に消え失せる

説明板より

すごくファンタジーな物語のようです。

境内には松尾芭蕉、正岡子規の句碑があります。

見渡せば ながむれば 見れば 須磨の秋

松尾芭蕉の句碑

読みさして 月が出るなり 須磨の巻

正岡子規の句碑

芭蕉の句は三段切りの名句だそうです。
三段切りとは俳句の「上句」「中句」「下句」がつながっていない句のことでした。 

風月庵の碑があり、ここにも句が刻まれています。

いつくとも 誰のいひけむ すまの浦
 かかるところの 秋のゆふ暮

作者は似雲という江戸時代の歌人です。

風月庵の碑

芭蕉は風月庵に宿泊したそうです。
貞亨5年(1688)、『笈の小文』の旅で須磨に立ち寄ったようです。

また、寺の近くに「藩架(ませがき)」とか「ヤグラ」という字名が残されていることから、現光寺は古代の須磨の関跡だともいわれています。

須磨の関跡の碑

現光寺にはいろいろなエピソードがありました。いくさとかではなく、すべて文学に関したもので、平和で風流な文化を感じました。