柏原八幡神社は入船山の山頂にご鎮座されている歴史の古い神社です。
創建は舒明天皇の時代(629〜641)。出雲連たちが入船山の頂に素戔嗚尊を奉祀したのが始まりと伝えられています。
ご祭神は誉田別命、息長帯比売命、比賣三柱命。
丹波柏原の厄神さんと親しまれているそうです。
社殿は天正13年、羽柴秀吉によって再建されたものです。
鐘楼の鐘は難逃れの鐘と名付けられています。願い事を込めて、心静かに三回鳴らすと、難を逃れ、福を授かるそうです。天正年間に羽柴秀吉が大砲鋳造のため、郡内の鐘を柏原に集めた際、特に優れた鐘だったため、秀吉から改めて寄進されたというエピソードが残っています。
柏原八幡宮の厄除大祭で行われる「青山祭壇の儀」は日本最古の厄除け神事といわれています。
「青山祭壇の儀」の説明が丹波市観光協会のホームページにありました。
榊の木を椎の木の枝で囲った青山(大きな山)に見立てた神籬(ひもろぎ)にさまざまな災いをもたらす厄神を迎えて丁重にもてなし、災い無きよう祈念してお帰りいただく神事
丹波市観光協会のホームページより
神事は2月17日から18日に変わろうとする深夜0時に始まります。
深夜に、厄神様にお越しいただいて、それをもてなし、悪いことをしないようお願いし、お帰りいただく。神様を畏怖し、敬う、素朴な思いと感じました。
境内には三重塔もあります。神社に三重塔があるのは珍しいと思いました。
塔は文化10年(1813) から 12年にかけて建てられたものです。
ふもとに野口雨情と上田三四二の歌碑がありました。
野口雨情は昭和11年に柏原を訪問し、柏原小唄を書きました。
上田三四二は小野市樫山出身の歌人です。旧制柏原中学校の出身でした。
三四二の碑には次の二首が刻まれていました。
「蝉声の しげきひとなき社頭には 受験少年の わがまぼろしあゆむ」
「拝殿の 石に蜥蜴の走るさえ 昔日に以て うつつなきかも」
境内で受験のことを考えていたみたいです。