恋愛弁天・氷室神社

清盛七弁天のひとつ、恋愛弁天の氷室神社にお参りしました。
色々なエピソードが残っている氷室神社。
ご祭神は大国主大神、仁徳天皇、市杵島比売、宇迦之御魂神です。

鳥居をくぐるとかわいらしい巫女さんが出迎えてくれます。

夢野の鹿

「夢野の鹿」の話が紹介されていました。

昔はここ夢野は刃我野と呼ばれていた。そこに夫婦の鹿がいた。その頃は夫婦は一緒に住まず、夫が妻の家を訪問する習慣だった(妻問婚)。いつのころか、オス鹿は淡路のメス鹿と仲良くなり、夢野のメス鹿のところへは来なくなった。ところがある日、寂しさをつのらせていた夢野のメス鹿のところへオス鹿がやってきた。翌朝、オス鹿が「背中に雪が積もる夢と、背中にすすきが生える夢を見た」と言った。メス鹿はオス鹿を淡路に行かせまいと思い、「それは悪い夢だ。淡路に行くと猟師に殺される」と答えた。
淡路に行くことを我慢していたオス鹿だが、とうとう我慢できず淡路に向かった。あと少しで島に到着というときに猟師が現れオス鹿を射殺した。
それから鹿の夢しらせは良いように思えば良くなり、悪いように思えば悪くなると言われるようになった。

日本書紀の仁徳38年や摂津風土記にある伝説で、「気にかかっていた物事が予感通りになること。心配していた事柄が現実となって現われることのたとえ」だそうです。

鹿の置物

平通盛と小宰相

源平合戦の一ノ谷の戦いにおいて、この地に平家随一の猛将平教経が陣を敷いていました。
戦いの前夜、教経の兄平通盛は愛妻小宰相を呼び寄せ、二人は最後の夜を過ごします。明日の戦いでの死を覚悟する通盛に小宰相は子供を身ごもったことを伝えます。

翌日、通盛は奮戦するも湊川の川下で敵に囲まれて討ち死。屋島に向かう船の上でこれを伝えられた小宰相、最初はその子を信じなかったが、4,5日立っても通盛が生きているという話はなく、通盛が死んだことを悟ります。これから一生、通盛を恋しいと思って生きるより、水の底に沈んでしまいたい、あの世で通盛と会いたいと、船から身を投げました。

神戸市願成寺の通盛小宰相比翼塚

「夢野の鹿」、「平通盛と小宰相」のどちらも悲しい結末で終わってますが、縁結びの神様の大国主大神、市杵島比売がおまつりされていることから恋愛弁天になったのでしょうか。

愛の手紙

拝殿に郵便物入れのような箱があります。

拝殿

それは「愛の手紙」を入れる『愛のポスト』でした。

愛のポスト

恋愛弁天さま宛てに願いを書いた手紙を投函すると、恋が叶うと言われています。

縁結び『愛の手紙』参拝のしかた
最初に、手水場で、手を洗い、口をすすいでください。
本殿に進んで、
・参拝(神様にごあいさつと日々の感謝)
・手紙に、お願いごとを書いて、「愛のポスト」に気持ちを込めてお納めください。
・参拝(素直な気持ちで、お祈りください)

ネットで調べると、怖いぐらい願いが叶うそうです。
悲しい結末に終わった平通盛・小宰相が現代の恋人たちを助けてくれているのかしれません。

拝殿内

拝殿内にも郵便ポストがありました。

氷室稲荷神社

拝殿から氷室に向かう途中に氷室稲荷神社があります。明治8年(1875)に京都伏見稲荷大社から勧請された神社です。

恋愛弁天の明るさとは打って変わって、なんとなく怖い雰囲気がしました。

氷室

日本書紀には、仁徳天皇62年(374)に天皇の兄額田大中彦皇子が夢野で狩りをしたとき、氷室を見つけ、その後、毎年氷室の氷を天皇に献上されるようになったと記されています。

氷室
氷室内部

氷室の中に氷を入れておくと、保存できただろうと思えるたたずまいでした。
氷室神社は恋愛の聖地でもありますが、氷の聖地でもありました。

氷室神社には他にも麛坂皇子(かごさかのみこ)・忍熊皇子(おしくまのみこ)の話、建武の新政を巡る戦いで、湊川合戦の前に楠正成公が訪れ、会下山に砦を築いたという話などが伝わっています。
1800年という長い歴史がある神社でした。