尼崎城

旧ミドリ電化(現エディオン)を創業した安保詮氏が尼崎城を私費で復元し、創業の地である尼崎に寄贈したという城です。 鉄筋コンクリート5階建てで、城の周りは尼崎城址公園になっています。

 1階 尼崎まちあるきゾーン
 2階 尼崎城ゾーン
 3階 なりきり体験ゾーン
 4階 ギャラリーゾーン
 5階 わがまち展望ゾーン

わがまち展望ゾーン

最上階の5階は四方が見渡せる展望台です。江戸時代の光景を映すモニターがあって現在の様子との違いがわかるようになっています。 なぜか、忍者が強調されていました。

ギャラリーゾーン

4階のギャラリーゾーンでは、尼崎ゆかりの画家・萩原一青氏の「名城手拭百城」が展示されていました。兵庫県内の城は、尼崎城、丹波篠山城、明石城、姫路城、龍野城、赤穂城、洲本城、出石城の8城です。いずれも、在りし日の堂々とした城の姿が描かれています。

なりきり体験ゾーン

貸衣装でお姫様やお殿様になれるゾーンです。家族連れでにぎわっていました。

尼崎城ゾーン

尼崎城の歴史、城下町が展示されています。ゲームコーナーの侍道場では剣術体験、鉄砲体験ができて、子供が刀を振り回して楽しそうです。

尼崎城は大阪夏の陣のあと、元和3年(1617)に築城されました。甲子園球場の3.5倍の大きさがありました。 初代城主は戸田氏鉄。その後、青山氏、松平氏と三氏、12人が尼崎城主となっています。

 初代 戸田氏鉄  二代〜五代 青山幸成、幸利、幸督、幸秀  六代〜十二代 松平忠喬、忠名、忠告、忠宝、忠誨、忠栄、忠興

最後の藩主、松平忠興は姓を櫻井に変えています。また博愛社設立に加わりました。博愛社は現在の赤十字社の前身です。

尼崎藩は現在の尼崎から神戸市須磨までという広い範囲を治め、大阪城を守る役割を担っていました。 天保8年(1837)に起きた大塩平八郎の乱では、大阪へ出兵して大阪城を守りました。

なんと、尼崎城にも「お菊さん」がいました。

青山氏が藩主の時代、家老の喜多玄蕃がお菊へ想いを寄せました。それに嫉妬した玄蕃の妻が食事に針を入れ、お菊に罪を被せます。怒った家老はお菊を井戸に投げ込み殺してしまいます。
その後、玄蕃の屋敷跡に寺が建てられました。すると、女性を後ろ手に縛り上げた姿にそっくりな虫がたくさん発生しました。
人々はこれを「お菊虫」と呼びました。

尼崎のお菊さんは幽霊ではなく、皿とも関係がないようですね。 また、「お菊虫」の正体はジャコウアゲハのサナギだそうです。
それにしても、無実の罪で殺されたお菊さんはかわいそうです。

尼崎まちあるきゾーン

尼崎まちあるきゾーンには尼崎観光マップの他に人間国宝・桂米朝のパネルや尼崎城を寄贈した安保詮氏の紹介や尼崎城一口城主のパネルなどがありました。

そんなに大きな城でもなく、特別に変わった展示があるとも思わなかったのですが、お姫様の格好をして喜んでいる子どもや、城外の公園で遊ぶ子どもたちを見ると、家族連れには楽しいところだと思います。
城が公開されたのは平成30年(2018)と割と最近ですが、尼崎のシンボルの一つになっていくのではないでしょうか。