鬼の山・大江山

姫路から輪行して、大江山に登ってきました。
姫路→加古川→谷川→福知山→大江山口内宮駅(京丹後鉄道)というルートです。
時間はかかりましたが、乗り継ぎの便はよく非常にスムースに移動できました。

京丹後鉄道の普通車はワンマンカーでした

なるべく近くまで電車で移動しようと考えて大江山口内宮駅から出発したので、目的地の「日本の鬼の交流博物館」までは距離にして約4.5キロメートル、獲得標高は200メートルでした。
鬼が出迎えてくれる道は勾配もさほど急ではなく、貧脚ヒルクライマーの私でも登ることができました。

鬼がお出迎え

日本の鬼の交流博物館は平成5年(1993)に開館した鬼をテーマにした博物館です。
大江山酒呑童子だけではなく、神様とされる鬼、仏教の鬼、祭りの鬼、女の鬼、外国の鬼など、たくさんの鬼が研究されています。
ここまで掘り下げれば研究になるのだと感じさせる展示でした。

日本の鬼の交流博物館

大江山や大江町には酒呑童子だけではなく、陸耳御笠の伝説(日子坐生の土蜘蛛退治)、英胡・軽足・土熊の伝説(麻呂子親王の鬼退治伝説)が伝わっていることも知りました。

また、日本の鬼の交流博物館の展示によると酒呑童子伝説は次のような話でした。

  • 一条天皇の御代、大江山に酒呑童子を頭目として茨木童子を副将、熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子を四天王とする鬼の一味が立てこもり、暴れまわっていた。
  • 池田中納言の娘までがさらわれるに及び、天皇は源頼光に鬼退治を命じた。
  • 頼光は藤原保昌を副将として、渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武の四天王をしたがえ、山伏姿に身を変えて大江山に向かう。
日本の鬼の交流博物館の展示より
山伏姿の頼光たち
  • 元伊勢内宮外宮、天岩戸神社に祈願して、山へ入っていくと、三人の翁が現れて、鬼が飲めば神通力を失い、人が飲めば薬になるという神変鬼毒酒と星兜を授けてくれた。
    三人の翁は頼光が鬼征伐の出立に際して祈願した住吉、八幡、熊野の神様の化神だった。
  • さらに進むと、血染めの衣を洗う女と出会った。都からさらわれてきた女で、この女の案内で鬼の城に入ることができた。
  • 酒呑童子は山伏たちを疑い、血の酒、腕や股の肉を肴に出した。疑いを避けるために頼光たちがそれを食べると、酒呑童子は打ち解けた態度になり、自分の不幸な半生を語る。
  • ころは良しと頼光は三神から授かった神変鬼毒の酒を振る舞う。
  • 酒呑童子は酔いつぶれて高いびき。
    頼光は酒呑童子の首を斬った。童子の首は天に舞い上がり、頼光に噛みついたが、三神からもらった星兜のおかげで難を逃れて、めでたく都へ凱旋する。
日本の鬼の交流博物館の展示より

山を下る途中に新童子橋を渡り、頼光の腰掛岩や鬼の足跡を見ました。

二瀬川渓流にかかる新童子橋は長さが77メートルの吊橋です。
歩くと揺れるし、両側の手すりが低く開放感にあふれています。怖くて、橋の中央部では下の川を見る気にはなれませんでした。

新童子橋

「頼光の腰掛岩」や「鬼の足跡」があるところは強羅(ごうら)と言い、まさに鬼が住まうにふさわしい景観をしていました。
こういう地形から鬼の伝説が生まれたのでしょうか。

強羅

それにしても、退治のされ方を考えると、酒呑童子は哀れですね。
修行していた比叡山や高野山から追放されたという話が伝わる酒呑童子。
世に受け入れられなかったがために、大江山にこもったようにも思えます。

童子の最期の言葉は『鬼に横道(おうどう)なきものを』。これは「鬼は人を欺いたり、裏切ったりはしない」という意味だそうです。
このような言葉が残されていることに、滅んでいった者への共感を覚えました。