大阪府貝塚にある古刹・水間寺にお参りしました。
奈良時代に行基菩薩により開山されたという歴史ある寺です。
南海本線貝塚駅で水間鉄道に乗り換え、水間観音駅に到着しました。
水間鉄道は大正15年(1926)に全線開通したという古い鉄道です。貝塚駅から水間観音駅まで、距離にして約6キロ、10の駅を結んでいます。

寺院風の意匠を持つ水間観音駅は国の登録有形文化財になっています。
水間観音駅から約10分歩くと水間寺に着きました。
お寺の前を流れる近木川(こぎがわ)に架かる橋は厄除橋です。

水間寺の境内には三重塔があり、堂宇も多く、規模の大きなお寺です。
御本尊は聖観世音菩薩像で、「水間観音(みずまかんのん)」や「厄除け観音」と呼ばれ、厄除の寺として信仰を集めています。

境内にある説明板などから水間寺の由緒がわかってきました。
- 聖武天皇が病床にあったとき、観音菩薩が現れたという夢のお告げにより、その霊地を探させた。
- 行基菩薩が水間の地に来たとき、十六人の童子が現れて行基菩薩を霊域の谷間に導いた。
- そのとき白髪の仙人が現れ、 一体の仏様を行基菩薩に手渡し、龍となって昇天した。
- 仏像は一寸八分(約6センチ)の聖観世音菩薩で、これを天皇に捧げたところ、病は全快した。
- 勅命により、聖観世音菩薩像を本尊として水間寺が建立された。
聖観世音菩薩が出現したという「降臨の瀧」が残っています。
境内の北端の近木川と秬谷川(きびたにがわ)が合流する地点で、渓谷のようになっていて、霊地にふさわしい雰囲気がありました。

水間寺は開山の伝説が伝えられていますが、もう一つの伝説も残されています。
それが「お夏清十郎」の物語です。
井原西鶴が『好色五人女』に記した「お夏清十郎」は、姫路の米問屋「但馬屋」のお夏と手代の清十郎の悲恋の物語ですが、水間寺の「お夏清十郎」は南北朝時代の物語でした。
- 伏見天皇の使いとして、山名清十郎という武士が水間村を訪れた。
- 山名清十郎をもてなす役として、お夏が選ばれた。
- 清十郎とお夏は互いに惹かれ合うようになった。
- 任務を終えた清十郎は村を離れたが、お夏は清十郎のことを忘れられず、縁結びの仏様である水間寺の明王さまに毎晩お参りに行った。
- 北朝と南朝の戦が始まり、清十郎は南朝側の武士として戦に参加した。
- 阿倍野の合戦で南軍は敗北し、清十郎は行方不明になった。
- お夏は清十郎を懸命に探し、ついに住吉の松林で清十郎と再会を果たした。
- 二人は水間村に戻り、幸せに暮らした。
井原西鶴の「お夏清十郎」では、清十郎は処刑され、お夏は正気を失ったようになるのですが、水間寺の「お夏清十郎」はハッピーエンドで終わります。
境内にある愛染堂は、お夏が願いをかけた愛染明王をおまつりしたお堂とされ、恋愛成就のパワースポットです。プロポーズにふさわしいロマンチックな場所として選定される「恋人の聖地」にも選ばれています。

愛染堂の前にはお夏清十郎の供養塔もありました。

水間寺に「お夏清十郎」の伝承が残っていると聞き、今回訪問したのですが、聖武天皇のご病気を平癒したという開山の伝承や、水間寺に伝わるお夏清十郎の物語を知り、改めて水間寺は人々に幸せをもたらすご利益がある寺だと感じました。



















