善防山城に登ってきました。標高251メートルの善防山に築かれた城です。登山口はいくつかあるようですが、今回は善防公民館の前にある大手門登山口から登りました。

登山道はきれいに整備されていて、急坂もなく登れます。ただ、登山道のはじめの方に非常に滑りやすい斜面があり、ズルっと尻餅をついてしまいました。登り降りの際には注意が必要ですが、その分視界は開けており、正面に皿池、善防池をきれいに見渡すことができました。

約30分で頂上の城跡に到着しました。
ここに善防師城(ぜんぼうじじょう、善防山城の別名)の説明板があります。
- 南北朝時代の貞和2年(1346年)、赤松氏2代目・範資(のりすけ)によって築城された。
- 嘉吉の乱(嘉吉元年・1441年)が起こったときの城主は赤松則繁。幕府軍が攻めてきたとき、則繁は但馬口で山名氏と戦っていた。
- 赤松3代目・赤松満祐は城山城(きのやまじょう・たつの市)で自害、赤松宗家は滅ぶも、則繁は城を脱出。朝鮮に渡り倭寇となって再起を図った。
- 日本に戻った則繁は文安5年(1448年)、肥後で大内氏と戦ったが敗れ、河内に逃れたが、幕府に攻められて自害した。
則繁はたいへん粗暴で、将軍・足利義教暗殺を主導したとも言われる人物です。波乱万丈の人生を送った男が城主だったようです。

嘉吉の乱の際、善防山城も幕府軍に攻められました。
以下のエピソードが伝えられています。
城にこもった善防方の兵は、山名軍が攻め登れないよう、油を塗った竹の皮を斜面に敷き詰めて応戦した。攻めあぐねた山名軍は、その竹の皮に火を放つ。火は勢いよく燃え広がる。その混乱に乗じて山名軍がなだれ込み、善防山城は陥落した。
激しい戦いを物語るかのように、大正時代になっても山中に白骨が見つかったという。
今はハイキングを楽しめる善防山ですが、激しい歴史の舞台でした。


















