熱海・貫一お宮

熱海駅から坂を下ると、熱海サンビーチに「貫一お宮の像」があります。
これは、明治時代の新聞小説『金色夜叉』の主人公・間貫一が許婚のお宮を蹴る有名な場面を再現したものです。

この場面は熱海の海岸での出来事です。

間貫一は15歳で孤児となり、鴫沢隆三夫婦に育てられて、一高に通う秀才となります。鴫沢夫婦の一人娘・宮と婚約しており、結婚を控えていました。
ところがある日、隆三から「宮を富山唯継(資産家の銀行家)の嫁にやる」と告げられます。
深く宮を愛していた貫一は、熱海の海岸で宮と最後の対面を果たします。
「宮さん、こうして二人が一緒にいるのも今夜限りだ。
1月十七日。よく覚えてくれ。来年の今月今夜は、僕はどこでこの月を見るだろう。再来年の今月今夜。十年後の今月今夜。僕は一生忘れない。
いいか、1月十七日だ。来年の今月今夜、僕の涙で必ずこの月を曇らせて見せる」
そう言い残し、貫一はお宮を蹴り飛ばします。

像のそばには、この物語にちなんで名づけられた「お宮の松」もありました。

像のあるサンビーチの遊歩道には、南米原産のジャカランダが咲いていました。
ジャカランダは南米ボリビア周辺を原産地とし、熱海には平成2年(1990)に植樹されました。

さらに糸川沿いには、同じく南米原産のブーゲンビリアが咲いていました。

このように、南国の花が咲く暖かい熱海。冬の星空が輝く海岸で、お宮を蹴る貫一。
この場面は、熱海という土地だからこそ生まれた場面だと思います。

ところで、貫一がお宮を蹴る場面は『金色夜叉』の序盤にすぎません。

お宮との別れに傷ついた貫一は、怒りのあまり学校を中退し、高利貸しという意外な道を歩み始めます。やがて、貫一に思いを寄せる女高利貸し・満江が現れ、一方で富山と結婚したことを後悔し、貫一への愛に気づくお宮との間で三角関係が繰り広げられる。

許婚という設定は時代を感じさせますが、物語はドラマチックで、現代でも通ずる話だと思います。

金色夜叉は明治30年(1897)から6年にわたり読売新聞に連載され、絶大な人気を博しました。作者は尾崎紅葉ですが、明治36年に病没したため、作品は未完のまま終わりました。

その後、紅葉が遺した『腹案覚書』をもとに、弟子の小栗風葉が続編を執筆しました。
そこでは、貫一は高利貸を廃業し、精神を病んだお宮は富山唯継と離婚。貫一とお宮は熱海で暮らすという結末を迎えます。

しかし、もし尾崎紅葉が健在であったならば、違う結末が描かれていたかもしれない。
そう想像せずにはいられません。