佐用城跡
佐用市の佐用城跡を見に行きました。 元弘3年(1331)の久我畷の戦で鎌倉方の 総大将名越尾張守高家を打ち取った佐用兵庫介範家が築城したと伝えられています。天正の羽柴秀吉の播州平定のなか、黒田官兵衛、竹中半兵衛に攻め落と...
佐用市の佐用城跡を見に行きました。 元弘3年(1331)の久我畷の戦で鎌倉方の 総大将名越尾張守高家を打ち取った佐用兵庫介範家が築城したと伝えられています。天正の羽柴秀吉の播州平定のなか、黒田官兵衛、竹中半兵衛に攻め落と...
魚住城は南北朝の時代、赤松氏の一族である魚住長範によって築かれます。 天正の三木合戦では、城主 頼治は別所氏に味方します。魚住城は毛利軍が三木城へ兵糧を運ぶ補給基地として使われました。 魚住から三木城までは約...
織田対毛利の戦いがあった上月城を訪問しました。 上月城は鎌倉時代末期(1300年代)に赤松氏の上月次郎景盛によって築かれました。上月城は播磨、備前、美作の境界に位置し、北には美作街道、東には鳥取と赤穂を結ぶ街道が通ってお...
竹中半兵衛の墓は兵庫県三木市にあります。 竹中半兵衛は天正六年から八年(1578〜1580)に行われた三木城攻めの最中、天正七年(1579)に亡くなりました。36歳でした。臨終の際、秀吉を将来の天下人と予言して息を引き取...
秀吉方武将の谷大膳の墓を訪問しました。谷大膳は平田砦の戦いで討ち死にを遂げた秀吉側の武将です。 天正七年(1579)9月、三木城を取り囲んだ秀吉軍と三木城に兵糧を入れようとする別所・毛利軍との間に平田砦の戦い...
三木合戦にでてくる淡河城の跡地を訪問しました。 淡河城は神戸市北区にあります。淡河城は三木の別所氏の味方で、三木城への兵糧を運ぶ拠点になっていたようです。三木城から約13km離れています。 淡河城の城主は淡河弾正少輔定範...
三木城攻めのときに秀吉が築いた平井山本陣を訪ねました。平井山の本陣は三木城からは 3km の至近距離に築かれました。西から北に美嚢川、南に志染川が流れ、川に囲まれた丘陵地一帯が要塞となっていました。最頂部に40間(72m...
羽柴秀吉と三木別所氏で戦われた三木城跡を訪問しました。三木城跡は神戸電鉄粟生線の三木上の丸駅すぐのところにあります。 三木合戦は天正六年(1578)三月から天正八年(1580)1月まで、約2年間続きました。別所長治は三木...
加古川城跡である称名寺を訪問しました。天正五年(1577)、ここで加古川評定が行われました。味方だったはずの秀吉と三木別所氏が決別。織田・秀吉 vs 別所・播磨勢・毛利の戦いが始まりました。 15歳の加古川城主・糟屋武則...
加古川にある神吉城址を訪問しました。現在、城跡は常楽寺になっています。 織田信長の播磨攻めにあい、織田軍三万に対し千名ほどの城兵で戦いました。織田軍には織田信忠(織田信長の嫡男)、明智光秀、佐久間信盛、荒木村重という、織...