加古川にある神吉城址を訪問しました。現在、城跡は常楽寺になっています。
織田信長の播磨攻めにあい、織田軍三万に対し千名ほどの城兵で戦いました。
織田軍には織田信忠(織田信長の嫡男)、明智光秀、佐久間信盛、荒木村重という、織田の主力で構成されていました。
対して、神吉城主の神吉頼定はこのとき29歳。
城を出て、大軍を前に「このたびは快く討ち死にして信忠に城を渡そうと思うから、早く攻めて来られよ」と大音声で名乗りを上げたという話があります。
織田の大軍を前に一歩も引かず、壮烈に戦い討ち死に。
播州武士の意地を見せました。
神吉頼定公の墓があります。
常楽寺は山門、本堂、薬師堂、鐘楼堂が国の登録有形文化財に指定されています。
羽柴秀吉による播磨平定は天正五年(1577)に始まり、三木の別所氏が離反したため、激しい戦が繰り広げられました。
天正六年 三月 加古川評定、別所氏が敵対する。
天正六年 四月 野口城落城
天正六年 六月 神吉城落城
天正六年 八月 志方城落城
天正七年 十二月 御着城落城
天正八年 一月 三木城落城
天正八年 二月 英賀城落城
播磨、加古川を舞台にして、ものすごい戦いがありました。