淡河城跡
三木合戦にでてくる淡河城の跡地を訪問しました。 淡河城は神戸市北区にあります。淡河城は三木の別所氏の味方で、三木城への兵糧を運ぶ拠点になっていたようです。三木城から約13km離れています。 淡河城の城主は淡河弾正少輔定範...
三木合戦にでてくる淡河城の跡地を訪問しました。 淡河城は神戸市北区にあります。淡河城は三木の別所氏の味方で、三木城への兵糧を運ぶ拠点になっていたようです。三木城から約13km離れています。 淡河城の城主は淡河弾正少輔定範...
三木城攻めのときに秀吉が築いた平井山本陣を訪ねました。平井山の本陣は三木城からは 3km の至近距離に築かれました。西から北に美嚢川、南に志染川が流れ、川に囲まれた丘陵地一帯が要塞となっていました。最頂部に40間(72m...
羽柴秀吉と三木別所氏で戦われた三木城跡を訪問しました。三木城跡は神戸電鉄粟生線の三木上の丸駅すぐのところにあります。 三木合戦は天正六年(1578)三月から天正八年(1580)1月まで、約2年間続きました。別所長治は三木...
加古川城跡である称名寺を訪問しました。天正五年(1577)、ここで加古川評定が行われました。味方だったはずの秀吉と三木別所氏が決別。織田・秀吉 vs 別所・播磨勢・毛利の戦いが始まりました。 15歳の加古川城主・糟屋武則...
加古川にある神吉城址を訪問しました。現在、城跡は常楽寺になっています。 織田信長の播磨攻めにあい、織田軍三万に対し千名ほどの城兵で戦いました。織田軍には織田信忠(織田信長の嫡男)、明智光秀、佐久間信盛、荒木村重という、織...
秀吉が戦った野口城址を訪ねました。三木城の別所勢と秀吉が対立したとき(加古川評定)、野口城は別所方についたため、秀吉に攻撃されました。教信寺から野口神社の方向ですぐの道を左に入ると小さい祠があります。この祠が野口城の跡で...
置塩城は室町時代に播磨守護職であった赤松氏のお城です。姫路城から約12km北の置塩山山頂に築かれました。羽柴秀吉によって播州が平定されるまでは、姫路城より重要なお城でした。 非常に天気の良い日で、姫路から気持ちの良いサイ...
黒田職隆、官兵衛親子は天正八年(1580)に秀吉に姫路城を明け渡し、国府山城に移します。もとは妻鹿孫三郎長宗が作った城と伝えられています。 国府山城(功山城とも)は城郭の観点から見て砦のような小規模な城だが、たいへん優れ...
黒田官兵衛の妻 光(てる)の実家であった志方城跡を訪ねました。 官兵衛のトレードマークである合子形兜は義理の父 櫛橋伊定(くしはしこれさだ)から譲り受けたものです。婿の官兵衛に兜をあげたというのは、娘の夫に期待したものが...
御着城は黒田官兵衛の主人である小寺家の城です。御着城址はJR姫路駅から東へ二駅の御着にあります。黒田官兵衛の時代は小寺政職が御着城主で、黒田家の姫路城より御着城のほうが大きい城でした。 現在、本丸と二の丸跡にお城の形をし...