宍粟市山崎の山崎城跡を訪問しました。
残念ながら城そのものは残っていません。唯一、城跡らしいのは紙屋門という山崎藩の陣屋門です。
山崎城(紙屋門)へ入っていく通りに、ここが大手前であったことを示す碑があります。
江戸時代、この大手前通りには重臣の武家屋敷が並んでいたようです。
道を進んでいくと山崎小学校があります。門の脇に表御門跡の石碑が立っています。
小学校の脇を通って紙屋門の方へ入っていきます。紅葉しかけた木々が美しい。
ここからは城跡が残っている区画になります。
紙屋門は、町方の「紙屋」が献納したので、紙屋門と呼ばれているそうです。
紙屋門を入っていくと、きれいな庭になっていて、鹿澤城本丸跡の碑があります。
鹿澤というのは山崎城の別名です。
他にも城主や領地の変遷によって、宍粟城、宍佐和城という名があります。
ちょっとややこしいです。
最後は石高が一万石となり宍澤城陣屋と呼んだそうです。
※歴代城主 1615〜1640 松平石見守輝澄 六万八千石 1640〜1649 松平周防守康映 五万石 1649〜1671 松平備後守恒元 三万石 1671〜1678 松平豊前守政周、数馬 三万石 1678〜 本多肥後守忠英 一万石 以降 藩主九代、明治四年(1871)まで続いた。
江戸時代初期は城主がコロコロ代わります。お殿様も異動、引っ越しでたいへんだったんだろうと思います。
亨保十四年(1729)の図
紙屋門の内側には御殿があり、その周りには堀がめぐらされていました。
門を入って正面の建物は山崎町歴史民俗資料館です。明治二十一年治安庁として建設された建物を移築したそうです。
城そのものは残っていませんでしたが、紙屋門、その庭、周りの風情には凛としたものを感じました。