谷大膳の墓・平田砦の戦い
秀吉方武将の谷大膳の墓を訪問しました。谷大膳は平田砦の戦いで討ち死にを遂げた秀吉側の武将です。 天正七年(1579)9月、三木城を取り囲んだ秀吉軍と三木城に兵糧を入れようとする別所・毛利軍との間に平田砦の戦い...
秀吉方武将の谷大膳の墓を訪問しました。谷大膳は平田砦の戦いで討ち死にを遂げた秀吉側の武将です。 天正七年(1579)9月、三木城を取り囲んだ秀吉軍と三木城に兵糧を入れようとする別所・毛利軍との間に平田砦の戦い...
三木合戦にでてくる淡河城の跡地を訪問しました。 淡河城は神戸市北区にあります。淡河城は三木の別所氏の味方で、三木城への兵糧を運ぶ拠点になっていたようです。三木城から約13km離れています。 淡河城の城主は淡河弾正少輔定範...
三木城攻めのときに秀吉が築いた平井山本陣を訪ねました。平井山の本陣は三木城からは 3km の至近距離に築かれました。西から北に美嚢川、南に志染川が流れ、川に囲まれた丘陵地一帯が要塞となっていました。最頂部に40間(72m...
羽柴秀吉と三木別所氏で戦われた三木城跡を訪問しました。三木城跡は神戸電鉄粟生線の三木上の丸駅すぐのところにあります。 三木合戦は天正六年(1578)三月から天正八年(1580)1月まで、約2年間続きました。別所長治は三木...
慈眼寺は大化四年(648) に法道仙人により創建されたと伝えられています。法道仙人は本当にたくさんのお寺を開いています。 その後、慈眼寺は一時荒廃しましたが、暦応二年(1339)に播磨の守護・赤松円心によって再興されたと...
加古川城跡である称名寺を訪問しました。天正五年(1577)、ここで加古川評定が行われました。味方だったはずの秀吉と三木別所氏が決別。織田・秀吉 vs 別所・播磨勢・毛利の戦いが始まりました。 15歳の加古川城主・糟屋武則...
加古川にある神吉城址を訪問しました。現在、城跡は常楽寺になっています。 織田信長の播磨攻めにあい、織田軍三万に対し千名ほどの城兵で戦いました。織田軍には織田信忠(織田信長の嫡男)、明智光秀、佐久間信盛、荒木村重という、織...
秀吉が戦った野口城址を訪ねました。三木城の別所勢と秀吉が対立したとき(加古川評定)、野口城は別所方についたため、秀吉に攻撃されました。教信寺から野口神社の方向ですぐの道を左に入ると小さい祠があります。この祠が野口城の跡で...
黒田官兵衛の妻 光(てる)の実家であった志方城跡を訪ねました。 官兵衛のトレードマークである合子形兜は義理の父 櫛橋伊定(くしはしこれさだ)から譲り受けたものです。婿の官兵衛に兜をあげたというのは、娘の夫に期待したものが...