姫路白鳥・荒神社(竈神社)

姫路市白鳥地区で竈神社(かまどじんじゃ)と呼ばれる小さな神社を見つけました。
竃神社は火災を防ぐ神様として敬われてきたそうです。

御祭神は奥津比古大神(オクツヒコノオオカミ)、奥津比売大神(オクツヒメノオオカミ)。
奥津比古大神と奥津比売大神はかまど神です。

案内看板には以下のように書かれています。

古来より竈を神聖な処として、竈の神をお祭りした。
この社は、当地に村落が開けた時、竈神社の氏子となると共に、この地域の守護神としてお祭りしてきた。
神社の後ろに、五輪塔とその墓石が残っている。
これは、天正八年(1580)赤松則房が羽柴秀吉に滅ばされたとき、女婿の川口三郎太夫と下僕助四郎主従は逃れて、この地に落ち着き世をしのび、農業を営み余生を送ったといわれている。

案内看板より

社殿の裏手に五輪塔がありました。

石碑には次のように書かれています。

天正八年(1580)に赤松則房が羽柴秀吉に亡ぼされた折、女婿の川口三郎太夫と下僕助四郎主従が逃れて当地に落ち着き世を忍び、農業を営み余生を送ったとの伝説がある。
大正十三年(1924)竃神社造営の際、当村の福岡亮一氏が両名の碑として五輪塔を立て現在に至る。長年風雨に晒され碑文が判読し難く此の度竃神社改修事業の一端として自治会が再建した。

石碑より

赤松則房を調べてみました。

生没年:不詳
赤松氏の最後の当主。置塩城主。父は赤松義祐。
秀吉の播磨侵攻時は秀吉に降伏し、秀吉の家来になった。
賤ヶ岳の合戦にも参陣。

赤松則房については資料があまりなく、よくわからないようですが、賤ヶ岳の戦いにサンジンしているということもあり、秀吉に滅ばされたというわけではなさそうです。川口三郎太夫が姫路白鳥に逃れたのは赤松則房が秀吉に降伏したときだったのかもしれません。