菅原道真公をおまつりする北野天満宮は、全国に約12,000社ある天満宮・天神社の総本社です。
学問の神として、入試合格、学業成就に霊験のある神様として信仰されています。
毎年正月に北野天満宮で行われる書初めは、ニュースなどでも紹介される恒例行事です。

楼門
高さ11メートルの大きな一の鳥居をくぐって境内に入っていくと楼門が現れます。
この日は七夕祭りということで、たくさんの提灯で飾られていました。
掲げられている額には「文道大祖 風月本主(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)」と書かれています。これは平安時代中期の学者・大江匡衡(おおえのまさひら)が菅原道真公を称えた言葉で、「学問・文学の祖であり、漢詩・和歌に長じた人」という意味です。

三光門
次に現れるのは三光門と呼ばれる中門です。豪華な造りで、大きく張り出した屋根が印象的でした。三光とは日・月・星のことで、日・月の彫刻と門の上に見える北極星で三光になるとされています。
この門は豊臣秀頼公によって慶長12年(1607)に造営されました。

御本殿
三光門をくぐると御本殿です。
茅葺きの屋根は柔らかで、きれいな形をしています。この建物も慶長12年(1607)に豊臣秀頼公が造営したもので、国宝に指定されています。
主祭神は菅原道真公で、相殿神として菅原高視(道真公の子)と吉祥女(道真公の夫人)がまつられています。
道真公が大宰府に左遷されたときに、菅原高視は土佐介として左遷させられ、吉祥女は奥州に流されたと伝えられています。

拝殿の前には「飛梅」があります。北野天満宮のホームページによると「菅公が自邸の紅梅殿で丹精込めてお育てになった紅梅を絶やさぬよう、当宮創建以来、代々御神前で守り受け継いできた」梅とのこと。
飛梅の前では梅が干されていました。この梅は北野天満宮の境内で育った梅から得たもので、「大福梅(おおふくうめ)」といいます。無病息災と疫病退散を祈って、この梅を元旦にいただくことが平安時代から続いています。

一願成就のお牛さま
本殿の後方にある牛社にはたくさんの絵馬がかかっていました。牛社におまつりされている臥牛は「一願成就のお牛さま」で、願い事を必ず叶えてくださる牛です。
ここにかけられた願いが全て叶えられたら素敵ですね。

北野天満宮の創建は天暦元年(947)、村上天皇の御代でした。
菅原道真公が亡くなったのは延喜3年(903)なので、死後44年が経っています。
道真公が亡くなった後、道真公を左遷に追いやった人物たちが次々と亡くなります。そして延長8年(930)には清凉殿に雷が直撃して多くの貴族が死傷するという清凉殿落雷事件が起こります。
さらに、その3ヶ月後に道真公を左遷した醍醐天皇が崩御されました。これらの出来事は、菅原道真公の怨霊によるたたりと考えられるようになりました。
文子天満宮
本殿後方に文子天満宮という摂社があります。
この文子は多治比文子(たじひのあやこ)という女性のことです。
天慶5年(942)、道真公の神霊から「わが魂を右近馬場にまつれ」と告げられた文子は自宅に道真公をおまつりします。その後、他にも同様の託宣を受けるものが現れ、天暦元年(947)に北野の地に北野天満宮が創建されました。
文子天満宮の説明板には、文子の住居跡は神殿に作り変えられ、明治6年(1873)に北野天満宮境内に遷座されたと記されていました。この多治比文子がいなかったら北野天満宮は創建されていなかったかも知れませんね。

北野天満宮は規模も大きく、数々の歴史的エピソードに彩られた魅力的な神社でした。
天神さまの七不思議も面白そうなので、何回か足を運ぶのも楽しいと思いました。



















