神戸市立博物館・大ゴッホ展

神戸市立博物館で開催されている「大ゴッホ展」を観てきました。
クレラー・ミュラー美術館の協力を得て、「夜のカフェテラス」をはじめ、ゴッホ作品とルノワール、モネなど印象派の画家の作品、約70点が展示されています。

クレラー・ミュラー美術館はオランダ・アムステルダムから南東約70キロのところにある、世界でも有数のゴッホ・コレクションを収蔵していることで知られる美術館です。

第1章 バルビゾン派、ハーグ派

「自然をありのままに描く」を追求したグループであるフランスのバルビゾン派と、オランダのハーグ派。ゴッホの原点はこれらの画派にありました。

ゴッホは1869年、16歳で画商・グーピル商会に入社し、ハーグ支店で働き始めます。
1872年には弟のテオ(4歳年下)も同商会に入社しました。

1873年、ロンドン支店に転勤したゴッホは大失恋を経験し、それをきっかけに宗教に深く傾倒します。
仕事に身が入らなくなったゴッホは1876年に商会を解雇され、宗教の道に進むものの、1879年には伝道師の職も解かれてしまいました。

1880年、ついに画家になることを決意したゴッホは、1881年にハーグ派の画家、アントン・モーヴの指導を受けます。
もし、あの恋が実っていたら画家ゴッホは誕生していなかったのかもしれません。

第2章 オランダ時代

1882年、娼婦シーンと一緒に暮らし始めますが、翌年には別れを選びます。
1884年、父・テオドルスのいるニューネンに移ると、農民の姿を描くことを決意。
「じゃがいもを食べる人々」などの作品が生まれました。
この頃の絵は、後の色彩豊かな作風とは対照的に、暗く沈んだ色調のものが多いですね。

第3章 パリの画家とファン・ゴッホ

ゴッホがグーピル商会で働いていた1874年、パリでは「第1回印象派展」が開かれ、新しい芸術の潮流が生まれていました。
ルノワールやモネの絵が展示されていましたが、ルノワールの「音楽家の道化師」などと比べると、パリに出るまでのゴッホの絵は、技術的には巧みでありながら、表現が教科書的で、まだ模索の中にあったようにも感じられました。

第4章 パリ時代

1886年、ゴッホはパリに出て、タンギー爺さんやゴーギャンたちと出会い、印象派の技術を取り入れていきました。

この頃からゴッホの絵に明るい色彩が宿り始め、独自の感覚が表現されるようになります。

第5章 アルル時代

1888年2月、陽光あふれる南仏・アルルへと旅立ちます。
同年9月、アルルの中心部のフォーラム広場に面したカフェを描いたのが「夜のカフェテラス」です。

夜の闇の中に浮かび上がる光あふれるカフェテラス。後方に輝く星は、「星月夜」の星と同じ表現が用いられていると思いました。

10月にはゴーギャンと共同生活を始めますが、わずか2か月で破局。「耳切り事件」を起こし、病院に収容されます。

1889年にはアルルを離れ、サン=レミの精神病院に入院。
そして1890年7月、ピストル自殺。37歳でした。

今でこそゴッホの絵には何億、何十億という価値がつきますが、生前はほとんど評価されず、売れた絵も数点のみだったと言われています。
貧しく、誰にも認められず、しかし創作意欲は強く、独自の表現を追い求め続けた。
激しく、不器用な人だったのだと思わずにはいられません。

ゴッホ展の帰り道、駅までの通りではイベントが行われていて、とても賑やかでした。
街は楽しげな人のざわめきと、光であふれていました。