宗佐の厄神さん・八幡神社
宗佐の厄神さんは、九州の宇佐八幡に向かう和気清麻呂が道鏡の家来に襲われたとき、一頭の大猪が現れ清麻呂を救ったことにより厄除の神様として崇敬されたと伝えられています。 神社は天平勝宝元年(749)に孝謙天皇の勅願所として建...
加古川市宗佐の厄神さんは、九州の宇佐八幡に向かう和気清麻呂が道鏡の家来に襲われたとき、一頭の大猪が現れ清麻呂を救ったことにより厄除の神様として崇敬されたと伝えられています。 神社は天平勝宝元年(749)に孝謙天皇の勅願所として建...
加古川市加古川城跡である称名寺を訪問しました。天正五年(1577)、ここで加古川評定が行われました。味方だったはずの秀吉と三木別所氏が決別。織田・秀吉 vs 別所・播磨勢・毛利の戦いが始まりました。 15歳の加古川城主・糟屋武則...
加古川市加古川にある神吉城址を訪問しました。現在、城跡は常楽寺になっています。 織田信長の播磨攻めにあい、織田軍三万に対し千名ほどの城兵で戦いました。織田軍には織田信忠(織田信長の嫡男)、明智光秀、佐久間信盛、荒木村重という、織...
加古川市志方八幡神社にお参りしました。志方八幡神社は加古川60選に選ばれています。以下の説明が書かれていました。 天永二年(1111)宮谷に創祀され、明応元年(1492)現社地に奉還して八幡神を勧請しました。古来、厄除け安産の神...
加古川市加古川市東神吉町に那須与一の石仏というのがあります。 那須与一は源平合戦の屋島での戦いで、平家の軍船に掲げられた扇の的を射落としたことで有名な武将です。生まれは関東。京都伏見で死去されたようで、神吉町とは全く関係がなさそ...
加古川市法道仙人はインドの人。7世紀中頃日本に来たとされています。空を飛ぶ術を心得、日本に飛行してきて八葉の蓮華に囲まれたような山があるので降り立ちました。そこが今の一乗寺になっています。托鉢の鉢を播磨灘まで飛ばして、海上の船か...
加古川市和泉式部の墓が加古川野口に、娘の小式部内侍の供養塔が明石にあるというので見に行きました。 和泉式部は平安時代の歌人。藤原道長から「浮かれ女」と言われるような、恋多き女性でした。父は大江雅致(漢学の素養が深い大江家の出身)...
加古川市御祭神は菅原道真。元和元年(1615)の創建と伝えられます。 天神社なので牛がいます。 拝殿の朱が鮮やかです。本殿もきれいです。 摂社の高松稲荷大明神です。 天井の提灯が色鮮やかです。
加古川市山陽電鉄 浜の宮駅から南側に数千本のクロマツが群生した公園があります。公園の敷地面積は甲子園球場12個分とのこと。すごい松林です。浜宮天神社はその公園のなかにご鎮座されています。 御祭神は菅原道真(スガワラノミチザネ)、...
加古川市尾上神社の境内には謡曲『高砂』に謡われた霊松『尾上の松』があります。尾上神社の住所は加古川市になっていますが、昔はこのあたりは高砂と呼ばれていたようです。高砂市の高砂神社に相生の松がありまするが、謡曲『高砂』はもともとは...