龍安寺で石庭を見ました。
大きさは幅25メートル、奥行10メートル。白砂が敷き詰められており、大小さまざまな石が並んでいます。室町時代末期に造られたとされていますが、作庭者、造られた時期は定かではありません。

枯山水の有名な石庭ということですが、私にはその意味がよくわかりませんでした。
大勢の外国人観光客が縁側に座っていましたが、何か感得できるものがあるのかなと不思議に思いました。金閣寺のような派手さがない龍安寺に、これほど多くの外国人観光客が訪れていること、彼らが龍安寺のことを知っているという情報網に驚きました。
庭の良さはあまりわかりませんでしたが、参道や池(鏡容池)はたいへん美しく、つややかに輝く緑が、生命力に満ちていました。
山門へと続く参道の途中に南門があります。

きぬかけの路を渡り、先に進むと延宝8年(1680)に建立され、江戸時代中期に再建されたという山門です。

庫裡が石庭への入口となっています。

大雲山龍安寺
徳大寺家の別荘だったのを、宝徳2年(1450)管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものである。応仁の乱に焼失して、明応8年(1499)、勝元の子、政元が再興したが、寛政9年(1797)火災で方丈 仏殿・開山堂などを失った。
現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものである。
(後略)
龍安寺のパンフレットより
徳大寺家:藤原北家の流れをくむ公家の一門である閑院流の家系。京都市北区に徳大寺を築いたことから、その名がついた。
応仁の乱:京都を舞台に応仁元年(1467)から文明9年(1477)まで続いた乱。
細川勝元:応仁の乱では東軍の大将として、西軍の山名宗全と戦った。
龍安寺は大変な時代をくぐり抜けてきたのですね。
石庭も静かでしたが、鏡容池の周りもまた静かでした。

鏡容池には緑の睡蓮が浮かんでいました。



















