大化の改新を成し遂げた中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足が密談をしたと伝えられる談山神社は、標高618メートルの多武峰の中腹に鎮座しています。
もとは妙楽寺という神仏習合の寺でしたが、明治の神仏分離令により談山神社と改称されました。
ヒルクライムを頑張ろうと、ふもとから自転車で登っていきましたが、岩船や亀石などの飛鳥の石造物を見て回った疲れと、あまりの暑さに、すぐに自転車を押して上がることになりました。
約1時間かかって談山神社に到着。歩いて登るのとあまり変わらない結果になってしまいました。
それでも、登っていくと遠くまで見渡せる景色が広がり、達成感があります。

談山神社の門前には店が並んでいました。このような山の上にも店があるのは意外でしたが、春の桜と秋の紅葉シーズンには、たくさんの観光客が来るようです。
11月になるとライトアップも行われます。

いよいよ境内に入っていきます。
正面奥には140段の石段が見えます。ヒルクライムで痛めつけられた脚には厳しい階段でした。

なんとか石段を登って行くと、拝殿や本殿が現れます。
談山神社のご祭神・藤原鎌足公を祀る本殿は、大宝元年(701)に創建されたといい、江戸時代に造替が行われています。国の重要文化財に指定されています。

木造十三重塔は世界唯一の建物です。
白鳳7年(678)に、藤原鎌足の長男である定慧(じょうえ)上人によって建てられたと伝えられています。現在の塔は享禄5年(1532)に再建されたものです。
高さは約17メートル。屋根が幾重にも重なり、確かに十三重の塔でした。

定慧上人は皇極天皇2年(643)の生まれとされています。白雉4年(653)、11歳で唐に留学し仏教を学び、白鳳7年に帰国と伝えられ、藤原鎌足公の墓を摂津国阿威山から多武峰に改葬しました。
11歳から35歳まで、25年間も唐に暮らしていたら、日本のことなど忘れてしまったのではないかと思わずにいられません。父のことをずっと思っていたのでしょうか。
藤原鎌足公の像が安置されている神廟拝所(旧講堂)も定慧上人によって建立されました。
鎌足公の背後の壁には羅漢と天女が描かれています。

談山神社には石造の十三重塔もありました。
藤原鎌足公の次男・藤原不比等(淡海公)の供養塔です。
藤原不比等は飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した偉大な政治家で、次のような業績が挙げられます。
- 大宝律令や養老律令を制定して律令体制を完成させる。
- 平城京への遷都を推し進める。
- 日本書紀の編纂に関わる。
- 天皇の外戚として藤原氏繁栄の基盤を作る。
これだけのことをやり遂げた藤原不比等に対して、この供養塔は意外と小ぶりに感じました。

一通り談山神社を見終えて、桜井に向かって山を下りました。自転車で登るのはたいへんですが、下るのは気持ちが良い。この爽快感があるからこそ、ヒルクライムはやめられません。
すると、途中に東大門と屋形橋(やかたばし)がありました。
現在は通行止めになっていますが、東大門の方からも談山神社にアクセスできるのですね。

屋形橋は下を流れる寺川に架かる長さ10メートルの橋です。屋根があり、形が屋形船のようだから、屋形橋と呼ばれるのですね。
江戸時代の国学者・本居宣長もこの橋を渡ったという記録があるそうです。ここから東大門の道をたどって談山神社に参拝されたのかもしれませんね。

輪行して帰るために、汗を流そうと立ち寄った銭湯で「愛子様が談山神社に来られた」と聞きました。「コロナ禍でも修学旅行を実施するために、人との接触が少なくて、感染の危険がない談山神社を訪問された」ということでした。
調べてみると愛子様が来られたのは2018年11月なので、コロナの前でした。
でも、たしかに談山神社なら人との接触を減らすこともできると思います。だからこそ藤原鎌足公と中大兄皇子が秘密の会合をここで行ったのだから。



















