大阪府太子町・王陵の谷

大阪府太子町には、聖徳太子が眠る叡福寺をはじめ、父・用明天皇陵、叔母・推古天皇陵、祖父・敏達天皇陵、孝徳天皇陵など多くの陵墓が点在しており、「王陵の谷」とも呼ばれています。

叡福寺

叡福寺には聖徳太子廟があります。推古天皇30年(622)に太子が薨去されると、叡福寺の地に葬られました。廟には聖徳太子だけではなく、太子の妃・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)、母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)も埋葬されているようです。

用明天皇陵

叡福寺から南東500メートルほどのところに用明天皇陵・春日向山古墳があります。高さ10メートル、一辺60メートルの方墳です。
用明天皇は第31代天皇で、聖徳太子の父でした。在位は585年から587年とわずか2年。しかし、用明天皇は崇仏派で仏教を公認したため、崇仏派と排仏派の対立を引き起こし、その後の仏教普及にも大きな影響を与えました。

推古天皇陵

用明天皇陵から約1キロ離れたところに推古天皇陵・山田高塚古墳があります。石室が2つあると考えられ、推古天皇と子の竹田皇子が埋葬されていると考えられています。
第30代敏達天皇の妻であり、用明天皇の母でもある推古天皇は、第33代天皇として593年~628年と35年という長期間にわたり天皇の地位にありました。
甥の聖徳太子を摂政として仏教の振興、憲法十七条の制定、遣隋使の派遣と多くの施策が実行されました。
聖徳太子に注目が集まりがちですが、推古天皇もまた、長期にわたって政務を担い、仏教の振興や制度の整備に尽力した偉大な女性だったと感じます。

孝徳天皇陵

河内と大和を結んだ古代の官道・竹内街道の脇に孝徳天皇陵・山田上ノ山古墳があります。
孝徳天皇は第36代天皇で、乙巳の変(645年)で蘇我入鹿が暗殺された後、即位しました。

小野妹子の墓

太子町には小野妹子の墓もあるので立ち寄ってみました。

太子町のホームページには華道の池坊との関係が説明されていました。

妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、華道家元 池坊の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。

太子町のホームページより

小野妹子が華道の起源と関係しているとは、意外な発見でした。

小野妹子の墓の近くには科長神社が鎮座しています。延喜式にも載っている歴史ある神社です。

訪問した次の日は科長神社の夏祭りということで、だんじりが賑やかに街を練り歩いていました。

鐘や太鼓の音、お囃子が途切れることなく響いていたため、録音を流しているのかと思いましたが、実際には生演奏でした。
だんじりの上で、鐘を鳴らす人、太鼓を叩く人、お囃子を歌う人の3人の息がピッタリあった演奏で、見事な芸に驚きました。

祭りには5台のだんじりが出るようで、地区によってそれぞれ形や飾り付けが異なります。
どのだんじりも地区の誇りですね。