姫路・朝日山大日寺

朝日山(標高88m)は播磨風土記にも出てくる歴史ある山です。
播磨国風土記」には朝日山は「大法(おおのり)山」、「勝部(すぐりべ)岡」と書かれています。


応神天皇がこの山で大法(重大な法令)を発したので大法山といい、斉明天皇(在位655~661)のときに大使の千代勝部らが田をひらいて住んだので、いまは勝部岡と呼ぶという意味のことが書かれている。
また周辺一帯は「大家里や「大田里」 と記され、 古くから開かれた地域である。

姫路市教育委員会の説明看板
おつなぎ岩
神功皇后の時代は、このあたりまで海だったのかもしれません

朝日山の山頂にある大日寺は大化年間(645〜650)に法道仙人が開いたといいます。
法道仙人は天竺(インド)から来たという伝説の仙人です。大日寺のご本尊にも伝説があります。

法道仙人と一緒に本尊も天竺(インド)からきた。はじめは家島の堂崎(観音崎)に安置されていた。法道仙人は空鉢を開城に飛ばして、往来の船にお布施を乞われていた。ある時、一人のいたずら者が、鉢にイワシを投げ入れたところ、鉢の底が抜け、イワシは海中に落ち、鉢の底は元通りになった。そしていたずらをした者の船は波間に沈んでしまった。そのときより観音さまは朝日山に移られた。

文化財見学シリーズ『朝日山周辺』を訪ねて

昔は30坊余りの坊舎が建ち並んでいたといわれています。
鎌倉時代には法然上人の弟子の信寂上人が招かれ、播磨における浄土宗布教の中心になっていました。
天文から元亀(1532〜1570)にかけて、朝日山周辺で戦われた戦により大日寺は全焼しましたが、ご本尊は焼けずに残りました。

朝日山では合戦が3回記録されています。
1.天文元年(1532)大日寺と斑鳩寺の争い
2.天文三年(1534)龍野城主と太田城主の争い
3.元亀元年(1570)龍野城主と太田城主の争い

大日寺も僧兵を持っていて、敵と戦ったり、争いの舞台になったようです。

高田安田公園に赤松塚というのがあります。
朝日山合戦で多くの武将が討死、自刃しました。それ以来、この地にくわ入れしたりすると病気や災難に遭うといわれていたそうです。

高田安田公園の赤松塚

大日寺へは朝日山公園から登っていきました。
朝日山公園は姫路市「緑の十景」に選ばれています。
大日寺は朝日山の頂上にあり、結構急な坂道を登っていきます。

しばらく登っていくと、山門が現れます。いかにも歴史がありそうな門です。

境内に入ると本堂、護摩堂、様々な石像、石塔があります。

本堂
護摩堂

十三重石塔は現在十一段しかありません。室町時代の造立とみられています。五智如来像は龍野城主赤松政秀が寄進したといわれます。

十三重石塔
涅槃像と五智如来像

山頂の聖天堂へ登ります。

聖天堂

聖天堂では歓喜天がお祀りされています。
歓喜天は頭は象、身体は人間の姿をした仏教の守護神。もともとはヒンズー教の魔王でしたが、仏教に入り守護神となりました。観音菩薩と夫婦となり、人間の障害を除く神に変わったということです。

宝篋印塔
石仏たち

大日寺は法道仙人が開いたという古い歴史を持つ寺。平和なとき、戦乱、色々な時代をくぐり抜けて、今に伝えられてきたんだと思いました。