巨大備前焼狛犬・片上宇佐八幡宮

宇佐八幡宮は延元元年(1336)に創建されました。
ご祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后。

説明看板には次の説明がありました。

建武3年・延元元年(1336)に足利尊氏が九州多々良浜(福岡)の戦いで大勝し、九州制覇できたのは豊前の宇佐八幡宮に参詣して武運長久を祈願したおかげだと、勧請し足利の守護神にしようとした。しかし、帰路、おおしけに遭い、神のお告げで、潟神村(現備前市片上)に祀ることとし、冨田松山の麓に祀った。その後、応永元年(1394)には和鹿林山(若林山)に勧請、更に正保3年(1646)現在地に遷宮したもので、十万石の格式が与えられたお宮である。

備前市教育委員会の看板より

尊氏は延元元年(1336)3月2日、多々良浜で菊池氏を破り、1ヶ月で九州を平定。4月3日、博多を出発し京へ攻める旅に出ます。5月5日備後鞆津、5月15日倉敷児島、17日備中福山城を攻めます。尊氏の反攻により、新田義貞は白旗城攻めを中止し退却。
5月25日湊川の戦いで尊氏は楠木正成に勝利しました。

東上の途中で尊氏は片上に寄ったのでしょうね。

境内には巨大な備前焼狛犬が鎮座されています。胴回りが2.5m、高さ1.5m。文政9年の銘があります。

備前焼狛犬を寄進したのは前川哲蔵という岡山藩筆頭家老の御目見医でした。お墓がお夏の墓と同じ場所にあります。前川哲蔵は狛犬を文政9年(1826)、玉垣を天保元年(1830)に寄進。文久2年(1862)に死去します。

拝殿に上る石段はかなりの急勾配。
3月3日のひな祭りの時期に「片上ひなめぐり」というイベントが開催され、この石段(62段)に赤い布を敷いてひな人形を飾る「石段ひなかざり」が行われます。

この石段にひな人形が飾られるところを見てみたいと思いました。