桑名の天武天皇

天武天皇社

天智天皇の崩御後、吉野に隠遁していた大海人皇子(のちの天武天皇)は不和の関(関ケ原)を目指して進軍の途中、后の鸕野讃良皇女(持統天皇)とともに桑名にたどり着きました。

671年12月 天智天皇崩御
672年
6月24日 大海人皇子、鸕野讃良皇女とともに吉野を出立
6月25日 伊賀・鈴鹿
6月26日 桑名に到着。

大海人皇子は鸕野讃良皇女と別れ、一人で関ケ原へ向かい、壬申の乱を戦い勝利します。
桑名には二人にゆかりのある神社が残されています。

天武天皇社

天武天皇をご祭神にしている神社です。天武天皇を主神として御まつりしているのはこの神社だけだそうです。

特別なものはなく、こじんまりとした神社でした。
創建年はわかりませんでした。

天武天皇御足洗井

大海人皇子と后の鸕野讃良皇女が桑名に滞在したときに皇子が足を洗ったという井戸です。

天武天皇御足洗井跡

石碑と井戸らしきものがありました。

井戸跡

持統天皇御舊跡

北桑名総社に「持統天皇御舊跡」の石碑があります。
太平洋戦争までは后の鸕野讃良皇女(のちの持統天皇)ゆかりの硯と鏡が伝えられていたそうです。

壬申の乱は627年に起こっています。1400年も前のもので、さらに戦いに行く途中の二人が立ち寄ったというだけで、特に何も残っていませんね。

桑名を出た大海人皇子は翌日(27日)、関ケ原(不和の関)に着き、野上行宮をたてます。
7月22日 瀬田橋の戦いで大海人軍が勝利し、翌23日に大友皇子が自死。
戦いは大海人皇子の勝利で終わりました。
これを知った鸕野讃良皇女はどういう気持ちだったのかなあ。