加古川・天神山城

加古川市志方町にある天神山城に登りました。
標高129メートルの天神山の山頂に築かれた山城です。
永徳年間(1381〜1384)に赤松氏範によって築城されたと伝えられています。

天神山城

Googleマップのナビを頼りに城を目指しましたが、城の登り口の案内が間違っていました。Googleマップにはときどきこういう間違いがあります。
ふもとにある西飯坂の天満宮に城への登山口があるので、そこを目標地にするべきでした。

西飯坂の天満宮

天満宮の石段の脇に道標がありした。
「右めい志よ」、「左ほっけ」とあります。昔は、左に行けば法華山一乗寺へつながり、右へ行けば高砂や尾上の松の方へつながっていたようです。

道標

神社の境内にある看板に「440年前は戦乱の表舞台にあった」とあります。この看板が作られたのは令和3年(2021)なので、440年前というと1581年になります。
秀吉によって三木城が落城したのは天正8年(1580)。近くには、やはり秀吉に攻略された櫛橋氏の志方城(観音寺)があるので、この辺りが戦いの舞台だったのは確かですね。

境内の看板

城へは西コースまたは東コースの2つのルートがあります。
今回は西コースから登りました。

西コースの途中には「赤松氏範公塔」という赤松氏範の墓があります。
赤松氏範は赤松円心の四男です。
円心とその子供たち全員が北朝の味方をするのに、氏範だけが南朝方として戦いました。氏範が南朝に味方した理由はわかっていません。
渡邊大門氏の「赤松氏五代」によると、氏範は「無双大力」と称される勇猛果敢な武将で、摂津(神戸から西宮、尼崎のあたり)を拝領していたが、永徳3年(1383)に播州清水寺で亡くなった、とありました。
天神山城の築城は永徳年間なので、氏範の最期に近い時期に築城されたようです。

赤松氏範公塔

登山道は整備されていて問題ありませんでした。途中の見晴台からはふもとの町が見えます。城があった当時は木も切り倒されていただろうから、見晴らしはすばらしかったと思います。

見晴台から

20分ほどで山頂に着きます。
山頂は平らになっており、大きな石がごろごろしています。
ここから尾根伝いに北へ行けば城の遺構も残っているようですが、道もわからなかったのでギブアップしました。
次回来たときはもう少し探索したいと思います。